地球人類にとっての真のバイブル
シルバーバーチの霊訓(1)
種類 | Amazon POD版のペーパーバック |
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原書 | Guidance from Silver Birch |
著者 | アン・ドゥーリー(編) |
近藤千雄(訳) | |
発行日 | 2018年7月1日 |
ページ数 | 220ページ |
ISBN | 978-4-905275-14-5 |
価格 | 1,925円(税込) |
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*本書は、1985年に株式会社潮文社から出版され、その後絶版になっていた『シルバーバーチの霊訓(一)』を改題して復刻したものです。なお、復刻にあたって近藤千雄氏による翻訳時以降の状況の変化を考慮し、スピリチュアリズム普及会により、訳注などの一部を削除したり修正しています。
内容紹介
スピリチュアリズムにおける最高レベルの霊界通信である『シルバーバーチの霊訓』は、最も優れた霊界通信であり、霊的知識の質・量において他の通信を圧倒しています。霊的知識のスケールといい、深さといい、これに並ぶものはありません。『シルバーバーチの霊訓』はスピリチュアリズム思想の集大成であり、まさに地球人類が手にした「最高の霊的叡智・真のバイブル」と言えます。
シルバーバーチの交霊会は1920年代から始まり、霊媒モーリス・バーバネルが亡くなる1981年まで、実に50年以上にもわたって行われました。そこで語られたシルバーバーチの霊言は、膨大な量に及んでいます。この『シルバーバーチの霊訓』シリーズ(全11巻)は、数千回にも及ぶ交霊会での霊言の中から、ハンネン・スワッファー・ホームサークルのメンバーら(編者)がそれぞれ掲げたテーマごとに適切なものを選び出し、一冊にまとめています。
目次
- シルバーバーチ・シリーズの刊行に当たって
- まえがき古代霊シルバーバーチと霊媒モーリス・バーバネル
- 1章あなたとは何か
- 2章なぜ生まれてきたのか
- 3章なぜ苦しみがあるのか
- 4章物に惑わされない生き方
- 5章霊的交信の難しさ
- 6章役に立つ喜び
- 7章心霊治療と生命力
- 8章愛の力
- 9章霊とは何か
- 10章質問に答える
- 11章おしまいに
- 12章シルバーバーチの祈り
- 訳者あとがき
- 解説霊的啓示の系譜
「まえがき 古代霊シルバーバーチと霊媒モーリス・バーバネル」より
四十年余り前(一九二〇年ごろ)のことである。文人による社交クラブで司会役をしていた十八歳の議論好きの青年が、思わぬ成り行きからスピリチュアリズムの研究に引きずり込まれた。そしてある心霊家の招きでロンドンの東部地区で催されていた交霊会なるものに一種の軽蔑心を抱きつつ出席した。
これといった感動も覚えぬまま会の成り行きを見ていたその青年は、入神した人間の口をついてインディアンだのアフリカ人だの中国人だのが代わるがわるしゃべるのを聞いて苦笑を禁じ得なかった。そして列席者の一人から「あなたもそのうち同じことをするようになります」と言われた時もアホらしいといった気持ちで軽く聞き流した。のちにこれが現実となるとは神ならぬ身には知る由もなかった。
二度目に出席した時、青年は途中でうっかり“居眠り”をしてしまい、目覚めてから慌てて失礼を詫びた。ところが驚いたことに他の出席者たちから「居眠りをなさっている間あなたはインディアンになっておられましたよ。名前も名のってましたが、その方はあなたがお生まれになる前からあなたを選んで、これまでずっと指導してこられたそうです。そのうちスピリチュアリズムについて講演なさるようになるとも言ってました」と言われた。
この時も青年は一笑に付した。しかしどこか心の奥にひっかかるものがあった。そしてその後出席する度に入神させられ、そのたびに同じインディアンがしゃべった。はじめのうち片言英語しか話せなかったのが次第に流暢になっていった。
その青年の名はモーリス・バーバネル。そしてインディアンはシルバーバーチと呼ばれるようになった。両者は顕と幽の相反する世界にいながら密接に結びついた仕事で世界的に知られるようになる運命にあった。前者は練達の宣伝家、著作家、編集者として、後者はハンネン・スワッファー氏の言葉を借りれば“他のいかなる説教家よりも多くの心酔者をもつ”雄弁な説教者としてである。
スワッファーの言葉には説得力がある。スワッファー自身がその会の司会者であり、今日までその交霊会はハンネン・スワッファー・ホームサークルの名称で知られているからである。それにスワッファーはジャーナリズム界では“フリート街の法王”の異名をとる反骨のジャーナリストとして長くその存在を知られている人物である。
そのスワッファーの勧めでシルバーバーチの霊言が心霊紙上で公表されるようになってからも、霊媒がバーバネルであることは内密にされた。バーバネルにしてみれば自分を通じての霊的教訓はいくら宣伝されてもそれだけの価値はあるが、それを掲載するサイキックニューズ紙とツーワールズ紙の主筆が実はその霊媒であるというのは、受け取られようではまずい印象を与えるのではないかという用心があったのである。そういう次第でバーバネルがシルバーバーチの霊媒であるという事実は二十年余りも極秘にされていたが、いったい霊媒は誰なのかという次第に高まる一般のうわさを放置するわけにもいかなくなり、ついに一九五七年八月二十四日のツーワールズ紙上でバーバネル自ら公表したのであった。
シルバーバーチについてスワッファーはこう述べている。「シルバーバーチは実はインディアンではない。いったい誰なのか、本当のところは分からない。本来属する界は波長が高すぎて地上とは直接の交信が不可能であるために低い界の霊(霊界の霊媒)の幽体を使用している。シルバーバーチと名のるインディアンはたぶんその幽体の持ち主であろう。その証拠に彼はこう言っているのである。“いずれ私の身元を明かす日も来ることでしょう。私は仰々しい名前を使うことによって敬愛を受けたくはありません。私が語る真理によって私の真価を証明するためにあえて素朴なインディアンに身をやつしております。それが自然の理というものなのです”と。」
これらの教説が霊媒の潜在意識の仕業でないことをどうやって見分けるのかとの批評家の質問に対してスワッファーは、両者が別個の存在であることを示す決定的な事実がいくつかあると言う。例えばシルバーバーチは再生説を説くが、バーバネルは通常意識の時はこれを否定し、入神すると反対に再生説を主張する。
シルバーバーチ自身も自分が心霊家がよく持ち出す“霊媒の第二人格”でないことを示す証拠をこれまで何度も提供している。例えば霊媒の奥さんのシルビアに対してシルバーバーチが、今度のエステル・ロバーツ女史の交霊会でかくかくしかじかのことを直接談話で言います、と約束したことがある。そして、その約束どおりのことが起きた。いっしょに出席していたバーバネルもはじめてシルバーバーチの声を直接聞いて感動を覚えたという。
「文は人なり」とは十八世紀のフランスの博物学者ビュフォンの名言であるが、これはシルバーバーチに関するかぎり人間性のみならず教説の説き方についても言える。霊媒のバーバネルもシルバーバーチの説き方の巧みさをまさに“霊の錬金術”であると激賞してこう述べている。
「年がら年中ものを書く仕事をしている人間から観れば、毎週毎週ぶっつけ本番でこれほど叡智に富んだ教えを素朴な雄弁さでもって説き続けるということ、それ自体がすでに超人的であることを示している。ペンで生きている他のジャーナリスト同様、私も平易な文章ほど難しいものはないことを熟知している。誰しも単語を置き換えたり消したり、文体を書き改めたり、字引や同義語辞典と首っぴきでやっと満足のいく記事ができ上がる。ところがこの“死者”は一度も言葉に窮することなく、すらすらと完璧な文章を述べていく。その一文一文に良識が溢れ、人の心を鼓舞し、精神を昂揚し、気高さを感じさせる。シルバーバーチの言葉には実にダイヤモンドの輝きにも似たものがある。ますます敬意を覚えるようになったこの名文家、文章の達人に私は最敬礼する。」
南アフリカにおけるスピリチュアリズムの中心的指導者であるエドマンド・ベントリー氏もその著書の中でシルバーバーチとバーバネルとの相違を“一目瞭然”であると評し、とくに弁舌のさわやかさと文体の美しさにおいて際立った対照を見せていると述べてからこう続ける。
「バーバネルも確かに優れた演説家である。公開の演壇上で、宴会の席で、選挙の応援演説で、あるいは何万人もの聴衆を前にした集会の演説等々での体験から氏は実に弁舌さわやかであり、ユーモアのあるエピソードを混じえるのも巧みであり、なかんずく法廷弁護士にも似た理路整然とした説明にただならぬ才能を見せる。
しかしシルバーバーチはこうした人間的評価の域を完全に超えている。シルバーバーチには荘厳さと威厳があり、それに王者の風格とも言うべき高度な素朴さと情愛とが一体となった風合いが感じられる。あえて説明するに及ばぬことであるが、その表現力の幅広さ、用語の選択の的確さ、生気溢れるさわやかな弁舌をみれば、シルバーバーチと名のる存在が明らかにバーバネルとは別個の霊界からの訪問者であり、それが豊富な知識と叡智と才能を携えて訪れ、地上の人間の身体を借りて語っていることは明白である。」
そのシルバーバーチがバーバネルの身体を完全に使いこなすに至る過程をバーバネル自身が次のように語っている。
「はじめのころは身体から二、三フィート離れたところに立っていたり、あるいは身体の上の方で宙ぶらりんの格好で自分の口から出る言葉を一語一語聞き取ることができた。シルバーバーチは英語がだんだん上手になり、はじめのころの太いしわがれ声も次第にきれいな声――私より低いが気持ちのよい声――に変わっていった。
ほかの霊媒の場合はともかくとして、私自身にとって入神はいわば“心地よい降服”である。まず気持ちを落着かせ、受身の心境になって気分的に身を投げ出してしまう。そして私を通じて何とぞ最高で純粋な通信が得られますようにと祈る。すると一種名状し難い温かみを覚える。ふだんでも時おり感じることがあるが、これはシルバーバーチと接触した時の反応である。温かいといっても体温計で計る温度とは違う。恐らく計ってみても体温に変化はないはずである。やがて私の呼吸が大きくリズミカルになり、そして鼾にも似たものになる。すると意識が薄らいでいき、まわりのことが分からなくなり、柔らかい毛布で包まれたみたいな感じになる。そしてついに“私”が消えてしまう。どこへ消えてしまうのか私にも分からない。
聞くところによると、入神はシルバーバーチのオーラと私のオーラとが融合し、シルバーバーチが私の潜在意識を支配した時の状態だとのことである。意識の回復はその逆のプロセスということになるが、目覚めた時は、部屋がどんなに暖かくしてあっても下半身が妙に冷えているのが常である。時には私の感情が使用されたのが分かることもある。というのは、あたかも涙を流したあとのような感じが残っていることがあるからである。
入神状態がいくら長びいても、目覚めた時はさっぱりした気分である。入神前にくたくたに疲れていても同じである。そして一杯の水をいただいてすっかり普段の私に戻るのであるが、交霊会が始まってすぐにも水を一杯いただく。忙しい毎日であるから、仕事が終わっていきなり交霊会の部屋に飛び込むこともしばしばであるが、どんなに疲れていても、あるいはその日どんなに変わった出来事があっても、入神には何の影響もないようである。あまりに疲労がひどく、こんな状態ではいい成果は得られないだろうと思った時でも、目覚めてみると、いつもと変わらない成果が得られているのを知って驚くことがある。
私の経験では交霊会の前はあまり食べないほうがよいようである。胸がつかえた感じがするのである。また、いろいろと言う人がいるが、私の場合は交霊会の出席者(招待客)についてあらかじめあまり知らない方がうまくいく。余計なことを知っているとかえって邪魔になるのである。」
私(アン・ドゥーリー)にとっては一九六三年秋に初めて出席した交霊会は忘れ難いものとなった。格別目を見張るような現象があったわけではない。常連のメンバー六人に私を含む招待客六人の計十二人が出席した。雰囲気は極めてリラックスして和気あいあいとしていた。部屋はロンドン近郊の樹木に囲まれたバーバネル氏の自宅の一階の居間で、書物の並ぶ壁で四方を取り囲まれた素敵な部屋であった。
聞いた話では交霊会は“テーブルの振動”によって始まるとのことであった。確かにそうなのだが、その時の印象は見ると聞くとでは大違いであった。死んだカエルの足がピクピク引きつるのを科学者が目撃したのが電気時代の始まりだそうだが、私にとってそんな言い草は、他の出席者と共に両手をテーブルの上に置いたとたんに消し飛んだ。テーブルに“生命”が吹き込まれるのをこの目で見ただけでなくこの手で感じ取ったのである。出席者が誠実な人ばかりであることは確信していたので、誰かが故意に動かしているのではないことは断言できる。そのテーブルがこちらの挨拶に応えて筋の通った反応を見せた時に、私がこれまで抱いていた万有引力の法則の概念が崩れ去った。何の変哲もない無生物である木製のテーブルがギーギーときしむ音を出しながら人間が頷くような動作から、苛立つように激しく前後に揺れ動く動作まで、さまざまな動きを見せるのだった。
そうした現象がひと通り終わって全員が着席すると、霊媒のバーバネルがソファーに腰掛けて入神状態に入った。その瞬間から会が目に見えぬ一団によって進められている雰囲気となった。そして私は神秘家の言う“聖霊の降下”を垣間見ることとなった。
驚いたことにバーバネル氏の顔が急に変貌しはじめたのである。仕事の上で慣れ親しんでいるあの皮肉屋でいつも葉巻を口にした毒舌家のジャーナリストに、一体何の変化が生じたのだろうか。フロイトに言わせると、精神病や夢の原因はことごとく潜在意識の仕業だそうで、われわれもそう思い込んできた。が、それから八十分間にわたって私がこの目で見この耳で聞いたものは、そんな単純な説明ではとても解釈できるものではなかった。ジャーナリストとしてネタ集めに奔走してきた関係で、私は熟練の税関職員と同じように、話しぶりや挙動でその人の本性を見抜く才能が身についている。いま目の前でしゃべり始めたのが日ごろ親しくしているバーバネル氏とは別人であることを私はすぐに直感した。バーバネル氏の身体がしゃべっているのであるが、それはバーバネル氏その人ではない。話しぶりが全く違うのである。
その日、シルバーバーチは出席者の一人一人に個別に語りかけたが、その内容は万人に共通した普遍的なものであった。ただ序に付け加えれば、その日この強か者の私を含む三人の女性が涙を流した。悲しみの涙ではない。感激の涙である。こう言うとまた否定論者の偏見を招くことになるかもしれない。が、ギリシャのデルポイの神託でリディアの最後の王クロイソスが何の変哲もないメッセージを受けたことがもとで、王国が根底から揺れ動いた例もあることを忘れてはならない。
さて長年の慣例に従い私もシルバーバーチに悩みごとの相談を許された。私はこう質問した。「私が今なお理解できないのはこの世に不可抗力の苦難が絶えず、それが私を含めて多くの人間を神へ背を向けさせていることです。」
シルバーバーチ「なるほど。でも神はその方たちに背を向けませんよ。いったいどうあってほしいとおっしゃるのですか。苦労なしに勝利を収め、努力なしに賞を獲得したいとおっしゃるのでしょうか。」
次に私は「当然の報いと慈悲との関係がよく分かりません」と尋ねた。
シルバーバーチ「報いは報いであり慈悲は慈悲です。地上で報われない時はこちらの世界(死後の世界)で報われます。神をごまかすことはできません。なぜなら永遠の法則が全ての出来事をチェックしているからです。その働きは完璧です。宇宙を創造したのは愛です。無限なる神の愛です。無限なる愛がある以上、そこに慈悲がないはずはないでしょう。なぜなら慈悲心、思いやり、寛容心、公正、慈善、愛、こうしたものは全て神の属性だからです。
苦難はなくてはならぬものなのです。いったい霊性の向上はどうすれば得られるのでしょう。安逸をむさぼっていて得られるでしょうか。楽でないからこそ価値があるのです。もし楽に得られるのであったら価値はありません。身についてしまえば楽に思えるでしょう。身につくまでは楽ではなかったのです。」
このハンネン・スワッファー・ホームサークルにおけるシルバーバーチの霊言の全てが公表されれば、いま物質主義的文化の危険な曲り角に立つ人類が抱える諸問題についての注目すべき叡智が数多く発見されることであろう。
とりあえずその中から私なりに選んだ叡智の幾つかを紹介するに際し、読者の全てがご自分の人生において慰めとなり、あるいは思考の糧となる何ものかを見出されることを希望してやまない次第である。
一九六六年 アン・ドゥーリー
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