霊能者が霊視する、あの世の存在者とは
――霊的世界の存在者たち
ニューズレター第49号
私たち人間は死後、霊界で永遠の生活を送るようになります。人間にとって霊界こそが本来の世界であり、今生活している地上世界は一時的な仮の世界なのです。私たちは将来、間違いなく霊界の住人となりますが、そこには、どのような者たちが存在しているのでしょうか。霊視能力の発達した霊能者は、霊界の下層(幽界)にいるさまざまな者たちを見ます。そうした霊能者が見たという霊的存在者とは、いったいどのようなものなのでしょうか。
私たちが死後、赴くことになる霊界には当然、地上生活を終えた人間の霊たちがいます。その霊たちは、地上人に対して善い働きかけをする「守護霊・背後霊」と、反対に悪い働きかけをする「低級霊・邪悪霊」に大きく二分することができます。地上人を守り導き援助する善なる霊たちと、地上人の霊的成長の歩みを妨害しマイナスの影響をもたらす悪なる霊たちです。また霊界にはこうした人間の霊ばかりでなく、その他の霊的生命体もいます。それが「天使」であり「妖精」です。
守護霊や背後霊については、すでにニューズレターで取り上げてきました。また天使についても詳しく見てきました。今回は、それ以外の霊界の存在者たちについて見ていきます。内容は次のようになっています。
【1】霊的世界からの妨害者
――“低級霊・邪悪霊”
1.霊界下層の未熟霊たちと、霊界からの悪なる働きかけ
死後も未熟なままの霊たち
――“未熟霊”
霊界から地上世界への働きかけは、守護霊・背後霊のように善意からのもの・良心的なものばかりではありません。現実には、むしろ悪意からの有害なものの方が多いのです。
人間は死んで霊界に入っても「霊的覚醒」が起きるまでは地上と同じ意識状態にいます。人間は、死とともに天使になったり善なる霊になるのではありません。霊界においても、未熟な者は依然として未熟であり、利己的な者は依然として利己的であり、悪意を持った者は依然として悪意を持ったままなのです。こうした霊的覚醒に至らず幽界の最下層に留まっている霊たちを「未熟霊」と言います。
シルバーバーチは次のように述べています。
「死んで霊界へ来た人は、地上にいた時と少しも変わりません。肉体を捨てたというだけのことです。個性は少しも変わっていません。性格はまったく一緒です。習性も特質も性癖も個性も、地上時代そのままです。利己的だった人は、相変わらず利己的です。貪欲だった人は、相変わらず貪欲です。無知だった人は、相変わらず無知のままです。悩みを抱いていた人は、相変わらず悩んでおります。少なくとも霊的覚醒が起きるまではそうです。」
低級霊・邪悪霊
霊界の下層(幽界)には、地上的意識を拭い去れない未熟な者(未熟霊)たちが数多く存在しています。彼らは地上において最低限の霊的成長さえ果たすことなく、せっかくの地上人生を無駄に過ごしてきました。
その中のある者は、死後も地上時代と同じように悪事を続けることになります。地上で悪行を繰り返してきたような人間、利己性の強い偏った考えを持った人間は、霊界に入ってからも地上に悪影響を及ぼすようになります。こうした霊たちを「低級霊」あるいは「邪悪霊」と呼びます。
彼らは霊的覚醒の時期がこないかぎり、しばらくそうした状態のままでいます。霊によっては何百年もの間、低級霊のままで留まっていることがあります。
2.未熟霊のさまざまなタイプ
いまだに物質的なバイブレーションが残っている幽界の最下層に集まっている未熟霊たちには、いろいろなタイプがあります。
ここではそうした霊たちを3つの観点から分類します。1つ目は霊の特徴と状態の点から、2つ目は霊の悪意の度合いの点から、3つ目は地上人への働きかけの有無という点からです。
未熟霊の分類〈1〉
――霊の特徴・状態の違いから
未熟であるという点は同じであっても、霊によってそれぞれ特徴があります。ここでは「未熟霊」を、特徴と状態の違いから5つに分類します。
①霊的暗闇の中に閉じ込められている未熟霊
自殺した人間や極端な唯物主義者として地上時代を過ごしてきた者、あるいは極悪非道なエゴイストとして人々を苦しみに追いやってきたような人間は死後、自らの霊性の低さがつくり出す“霊的暗闇”の中に、自分自身を閉じ込めるようになります。そしてそこから抜け出すことができず、自分で自分の首を絞めるような苦しみを体験することになるのです。
そうした塗炭の苦しみを味わい、激しい後悔の念を抱いて時を過ごす中で、少しずつカルマ(罪)が償われ「霊的覚醒」がもたらされるようになります。霊的覚醒に至るまでの期間は、それぞれの霊のカルマの程度や霊性のレベルによって異なります。
②死を自覚できないために、地上時代の延長生活を続ける未熟霊
――“地縛霊”【1】
地上時代、霊的なことにあまりにも無知であったため、自分が死んだことに気がつかない霊がいます。周りの状況が何かおかしいと思いつつも、死の自覚を持てないのです。そうした霊は結局、自分自身の記憶と意識によって地上時代の生活を再現し、その中で存在し続けることになります。こうした霊を「地縛霊」と言います。
この地縛霊の中には、地上時代の仕事を延々と無意味に続ける者がいます。生前工場で働いていた者は、幽界でも同じような仕事を続けます。地上時代を商店の店員として過ごした者は、幽界でも店で商品を売り続けます。また戦争で急死したような場合も死を悟ることができず、自分自身の想念でつくり出した戦場で戦闘行為を続けます。
地上時代の間違った宗教的信条(*例えば「死後は再臨の時まで墓で待ち続ける」といった教義)を堅く信じ込んで他界し、それが霊界に入ってもなかなか修正できないときには、やはり“地縛霊”となります。死を自覚することなく時を過ごし、いつまでも進歩の道に踏み出すことができません。彼らの中には、同じ信仰仲間と教会に集まって地上時代の信仰生活を続ける者や、間違った教えを地上の人間に広めようとする者もいます。
こうした霊たち(地縛霊)の場合は、自分がすでに死んでいることに気がつくまでその状態が続くことになります。時に、死を自覚していない霊が無意識のうちに地上の霊媒体質者のオーラに引っかかり、その中に閉じ込められてしまうようなことが起こります。これが「憑依現象」です(*「憑依現象」にはさまざまなケースがあり、低級霊が強い悪意を抱いて引き起こすものもあります)。
そうした地縛状態がどのくらい続くのかは、それぞれの霊の霊性のレベルにかかっています。比較的短期間のうちに抜け出せる者がいる一方で、何百年もの長期にわたって地縛状態を続ける者もいます。
③本能的欲望のままに、地上時代の快楽を求め続ける未熟霊
――“地縛霊”【2】
霊界に入っても死を自覚せず、いつまでも生きていると錯覚している霊(地縛霊)の中には、地上時代と同じように物質的・本能的欲望を追求し続ける者がいます。彼らは地上の本能的人間に働きかけて、間接的に肉体的快楽を味わったり、地上人をそそのかして悪の道に誘い込んだりします。
そうした霊の多くが、地上生活において肉体的快楽を最優先して求めてきました。そのため肉体的快楽の刺激が魂(霊的心)にまで染み込み、肉体を脱ぎ去った後も、それが心を占めるようになっているのです。彼らの意識は常に地上に向けられ、いつまで経っても霊的向上の意欲が芽生えてきません。そのため結局、彼らは地上時代と同じように肉体的快楽を求めて活動することになります。地上の酒飲みや麻薬中毒者・淫乱者の背後から忍び寄り、その肉体を共有して(*地上人に憑依して)快楽の感触を味わおうとするのです。こうして霊界に行ってからも、さらなる罪をつくり続けることになります。
またこの手の未熟霊の中には、意図的に地上人のオーラの中に侵入し、悪質な憑依現象を引き起こす者がいます。このタイプの未熟霊は典型的な「低級霊・邪悪霊」で、彼らが存在する場所は、地上に近い幽界の最下層に限られます。特に地上人の物欲・本能欲が渦巻くような場所にたむろして住み着きます。
④悪ふざけやいたずらをして楽しむ未熟霊
――“イタズラ霊”
地上にもいたずら好きで、悪ふざけばかりしている不真面目な人間がいますが、霊の中にも悪ふざけをして、地上人を困らせては楽しむといった程度の悪い者たちがいます。こうした未熟霊の多くは知能が高く、地上の交霊会に出て心霊現象を演出して参加者を驚かせたり、デタラメな霊言を語って地上人を騙したりします。
また地上の霊媒体質者を利用して“幽霊”をつくり出して人々を怖がらせたり、物体を消したり移動させてからかい、困らせるようなこともします。こうした“イタズラ霊”は典型的な「低級霊」ですが、彼らは特別な悪意を持っているというわけではありません。
しかしいずれにしてもこのような未熟霊たちは、霊界で低俗ないたずらや悪ふざけを繰り返すことによって、さらなる罪(カルマ)をつくり出すようになります。
⑤強い悪意や憎しみを持って、地上人に攻撃をしかける未熟霊
――“邪悪霊・凶悪霊”
高級霊や幸福な地上人に、憎しみや妬みを抱き、意識的に地上人を不幸に追い落とそうとする霊がいます。未熟霊の中で最も悪意の強い霊であり、まさに「邪悪霊・凶悪霊」というべき存在です。彼らは人類にとっての大きな敵と言えます。
特にスピリチュアリズムに対しては、自分たちの悪意が暴かれることを恐れ、敵意をむき出しにして妨害に出てきます。利己的な地上人を操って妨害したり、交霊会に介入し、これを悪用してスピリチュアリズムの権威を貶めようとします。
彼らは死後においても大きな罪(カルマ)をつくり上げ、罪の償いのためにその後、たいへんな苦しみの道を歩まなければならなくなります。
未熟霊の分類〈2〉
――霊の悪意の度合いから
未熟霊といっても、一人一人の霊が抱いている悪意の程度はさまざまです。高級霊や地上人に対してほとんど悪意を持っていない者、また少しだけ悪意を持っている者、そして強烈な悪意と憎しみを持っている者など、悪意の度合いはそれぞれ異なります。
先に分類した②の未熟霊は、地上人に対して悪意や憎しみを持つようなことはありません。③と④の未熟霊は、心の根底には妬みを抱いていますが、それが憎しみ・憎悪といったむき出しの敵意にまで至ることはありません。⑤の未熟霊は、激しい悪意と敵意・憎悪を抱いて高級霊に反抗し、地上人類の進歩の道を妨害・破壊しようとします。
未熟霊の分類〈3〉
――霊の地上人への働きかけの有無から
幽界最下層の未熟霊の中には、そこに留まっているだけで、敢えて地上世界に働きかけをしようとしない者がいます。②のケースの未熟霊がそれに相当します。彼らには、地上人に対して妨害やいたずらをしようといった悪意はありません。彼らの霊性は未熟であっても、人間としては善人であることが多いのです。単なる霊的無知からの霊的未熟者たちなのです。
それに対し③と④と⑤の未熟霊は、地上人に向けて積極的に働きかけ、悪い影響を及ぼします。特に⑤の未熟霊の悪影響の度合いは甚大です。
3.低級霊・邪悪霊が地上世界へ働きかける手口
未熟霊の中で、地上に悪なる働きかけをする者を「低級霊・邪悪霊」と呼びます。低級霊・邪悪霊は、さまざまな手段を用いて地上へ働きかけます。またあらゆる機会をとらえて地上人に悪影響を及ぼそうとします。低級霊たちには、地上人に対する一片の思いやりも配慮もありません。地上人を困らせ苦しめることを喜びとし、生きがいとしているのです。そして冷酷・無慈悲に地上人を攻撃し痛めつけます。低級霊は、まさに地上人類にとっての最大の敵の一つと言えます。
ここでは「低級霊・邪悪霊」が地上に働きかける手口について見ていきます。彼らは次のような方法で地上人に働きかけ、その影響力を拡大しようとします。
①地上人の利己心と本能を利用して
低級霊が地上に働きかける最も一般的な手口は、地上人の利己心と本能を利用するものです。地上人は肉体を持っているため、本能に支配されがちです。意識的に努力しないかぎり、すぐに「肉主霊従」に陥り、利己的な思いが心を支配するようになります。これが霊界の低級霊に、格好の働き場所を提供することになるのです。
地上人が“利己心”に支配されると、誠実で清らかな者・高貴な者に対する嫉妬心や嫌悪感が湧き上がるようになります。虚栄心と傲慢さは真面目な者への反発心を引き起こし、妬みと憎しみを発生させます。こうした低級霊の思いと相通じる“悪感情”は、ただちに低級霊の察知するところとなります。
低級霊・邪悪霊は、地上人の悪感情を見逃しません。背後から地上人に忍び寄り、その悪感情を煽り立てます。その結果、地上人の悪感情はどんどん増幅し、相手の人間に対する憎しみを募らせることになります。こうなれば低級霊は、その地上人を意のままに操ることができるようになります。地上人を自分の手足として、相手の人間を非難したり迫害することもできるようになります。
スピリチュアリズムへの反対や妨害の多くが、実はこうした形で引き起こされています。スピリチュアリズムに反対する人間は、すべて自分自身の判断でしているように思っていますが、現実には霊界の「低級霊・邪悪霊」によって煽られ、操られているのです。
②地上人の不安・恐怖心に付け込んで
低級霊が地上人に働きかける際に、一番やっかいな存在が、霊界の守護霊や背後霊です。地上人に働きかけ支配しようとしても、守護霊がその経路を遮断してしまうからです。地上人が高い心境を維持し奉仕精神に富んでいるときには善意の霊たちによって守られ、低級霊は悪影響を及ぼすことはできません。また地上人が神と守護霊の導きを信頼しているようなときにも、低級霊は近づくことはできません。高い霊的意識と純粋な奉仕精神、そして神と守護霊・背後霊への信頼は「低級霊・邪悪霊」に対する強固な防御壁となるのです。
それとは反対に、地上人が不安や恐怖心に駆られると、霊界からのエネルギーの流入口が閉ざされ、善なる霊は思い通りに地上人を守護することができなくなります。こうなると地上人は、低級霊の侵入を受けやすくなります。まさに不安や恐れは、地上人にとって最大の敵なのです。低級霊は狙いを定めた地上人に不安や恐怖心を抱かせるために、わざと周りの人間に働きかけ、これを利用して間接的に圧力を加えます。首尾よく狙った相手が不安や恐怖心に駆られるようになると、今度は直接的に攻撃を仕掛けます。
また霊的に敏感な人間や霊的なものに異常な関心を示す相手に対しては、霊界から直接影響力を行使し、不安感を引き起こすようにします。そして低級霊が侵入しやすい状況をつくり出します。霊媒体質者は、霊界からの影響を受けやすい分だけ不安や恐怖心にとらわれがちになり、低級霊・邪悪霊に対する防備が弱くなります。
③霊媒体質者・霊能者を利用して
霊界の低級霊にとって、地上の霊媒体質者や霊能者は最も働きかけやすい対象です。霊媒体質者や霊能者は霊界からの影響をストレートに受けるため、低級霊は簡単に自分の道具として利用することができるようになります。
低級霊にとって地上の霊能者は、道具として用いるのに“もってこい”の存在です。低級霊は、霊能者の耳元でささやきかけて自尊心をくすぐり、有頂天にさせます。またさまざまな霊的ビジョンを見せて、自分がこの世で一番であるかのような傲慢な思いを抱かせます。そして徐々に自分の道具に仕立て上げていくのです。このようにして地上の霊能者の90パーセント以上が“低級霊の餌食”になっています。
低級霊は低俗な霊能者を用いてニセの情報を流布し、霊界についての正しい知識や霊的真理が地上に普及しないように画策しています。
④憑依現象を利用して
霊媒体質者を低級霊が不当に支配し、自分の操り人形のようにしてしまうことがあります。これが「憑依現象」です。低級霊・邪悪霊は、意図的に憑依現象を発生させて地上人を困らせたり、さまざまなトラブルに巻き込んだりします。
憑依状態に陥った地上人は、低級霊・邪悪霊の道具となってしまいます。そして普段は決してしないようなことを平気でしでかし、最悪の場合には事件や犯罪・自殺を引き起こすようになります。
⑤独裁者・マスメディアを利用して
低級霊・邪悪霊は、善なる勢力の拡大と霊的真理の普及を恐れ、それを阻止するために地上世界の権力を最大限に利用しようとします。人類史上の“独裁者”による宗教弾圧・宗教迫害の背後には、こうした低級霊による働きかけがありました。独裁者は利己性と独占欲が並外れて強く、低級霊にとっては最高の道具と言えます。独裁者を利用することによって、善なる勢力を力ずくで押さえ込むことができるようになります。
21世紀の“独裁国家”においても、低級霊・邪悪霊による影響力の行使が強力に進められています。現在の独裁国家や独裁者は、かつてローマ皇帝がキリスト教徒を弾圧したのと同じようなことをしています。宗教者や人権運動家に対して非道な迫害を行っています。
一方、現在の大半の国家は民主主義体制になっており、そこでは独裁国家のような絶対的な政治権力者はいません。こうした民主主義国家では、低級霊は一般大衆の低俗さやエゴ性・本能性を利用して善の勢力に迫害を加えようとします。そのための最も有用な手段が“マスメディア”です。現在の民主主義国家における権力の一つがマスメディアであり、それは世論をつくり出したり、世論を操作して国家を操る力を持っています。
そこで低級霊・邪悪霊は、善なる勢力の拡大と霊的真理の普及を阻止するためにマスメディアを使って巧妙に、大衆の関心を低俗な心霊現象やニセ霊能者に引きつけるように働きかけます。テレビやネットなどを通じて人々の意識をくだらない娯楽に向けさせます。そして本能的快楽主義を煽って「霊的成長の道」から目を逸らすように仕向け、結果的にスピリチュアリズムの発展を妨害しようとするのです。
4.低級霊・邪悪霊によるスピリチュアリズムへの反対勢力の形成
スピリチュアリズムへの反対勢力
低級霊・邪悪霊にとって一番の脅威は、自分たちの悪事を暴き、自分たちの存在を危うくする“スピリチュアリズム”の登場です。スピリチュアリズムが発展すればするほど自分たちが不利になるため、死に物狂いでスピリチュアリズムに反抗します。そして、ありとあらゆる手段を用いてスピリチュアリズムの拡大を阻止しようとします。
シルバーバーチは次のように言っています。
(質問)「霊界にも組織的な反抗勢力の集団がいるのでしょうか。」
(答え)「いるのです。それが我々にとっても悩みのタネの一つなのです。組織的反抗といっても、聖書にあるような天界から追放された堕落天使の反乱の話を想像してはなりません。あれは象徴的に述べられたまでです。残念ながら霊界にも、真理と叡智と知識の普及を快く思わぬ低級霊の勢力がいるのです。そしてスキあらば影響力を行使して、それを阻止しようとするのです。」
インペレーター霊も、霊界の低級霊の集団的な反抗について次のように述べています。
「進行中の新たな啓示の仕事と、それを阻止せんとする一味との間に、熾烈な反目があります。われわれの霊団と邪霊集団との反目であり、言い換えれば、人類の発達と啓発のための仕事と、それを挫折させんとする働きとの闘いです。それはいつの時代にもある善と悪、進歩派と逆行派との争いです。逆行派の軍団には悪意と邪心と悪知恵と欺瞞に満ちた霊が結集します。憎しみに操られる無知蒙昧な者もいれば、真の悪意というよりは、悪ふざけ程度の気持ちから加担する者もいます。要するに、程度を異にする未熟な霊がすべてこれに含まれます。闇の世界から光明の世界へと導こうとする、われわれをはじめとする他の多くの霊団の仕事に対して、ありとあらゆる魂胆からこれを阻止せんとする連中です。(中略) その集団に集まるのは必然的に地縛霊、未発達霊の類です。」
*『霊訓』については翻訳原文の文体・表現を改めています。
キリスト教の説くサタンの存在は寓話
スピリチュアリズムに対する低級霊の集団的な反抗というと、キリスト教がこれまで説いてきたような、神に対峙するサタンの一大勢力を想像するかもしれません。キリスト教では、サタンを首領とする悪の勢力があって、神の勢力に戦いを挑んでいると教えてきました。
しかし実際の霊界には、「神」対「サタン」という二大勢力間の闘争という構図は存在しません。また神に対峙するサタンも、堕天使ルシファーも実在しません。幽界の下層において、悪性の強い低級霊・邪悪霊を中心に小グループがつくられ、それぞれの悪党グループが思い思いに悪行を繰り返し、高級霊の働きかけに反抗しているというのが実情です。
“交霊会”への攻撃
低級霊・邪悪霊にとって、高級霊が地上人に霊的知識・霊的真理を伝える交霊会は、最も妨害したい現場です。そのため、あらゆる交霊会が低級霊の攻撃にさらされてきました。現在、地上で行われている交霊会の大半が、低級霊の侵入を許しています。
低級霊・邪悪霊はスピリチュアリズムによる霊的真理の普及を恐れ、交霊会を最大限に利用し、そのイメージを落とそうと画策してきました。スピリチュアリズムが低俗なものであるかのような印象を、人々に植えつけようとしてきました(*交霊会における低級霊の画策と低級霊の操り人形となっている霊能者の問題や、ペテン霊能者の問題については、これまでニューズレターで述べてきました。また、第3ホームページ「スピリチュアリズムの心霊現象論」においても、詳しく取り上げています)。
低級霊の活動の場は、幽界下層に限定
低級霊・邪悪霊は、どんなにもがいても霊界の上層に入って行くことはできません。そのため低級霊の活動場所は、幽界の下層と地上界に限定されます。高級霊界には、低級霊の影響は全く及びません。したがって霊界全体としては、低級霊の存在はそれほど大きな問題とは言えません。
しかし低級霊の影響を直接受けることになる地上人の立場からすれば、低級霊の存在は実に厄介なことであり、きわめて重大な問題ということになります。
5.自ら低級霊・邪悪霊を引き寄せる地上人たち
低級霊にとっての絶好の条件
少しばかり心霊世界の知識をかじったような人は、「どうして高級霊は、低級霊の悪事を抑えてくれないのか?」と言います。しかし低級霊が地上人に働きかけるのは、地上人が働きかけやすい条件をつくっているからです。地上人の方から低級霊の働きかけを誘導しているのです。
大半の地上人が陥っている「物質中心主義的考え方・本能快楽主義的生き方」そして誰もが程度の差こそあれ持っている「利己心・傲慢さ・自己顕示欲・虚栄心」さらには「取り越し苦労・不安・恐れといったマイナスの思い」――これらは低級霊・邪悪霊が働きかけるための“絶好の条件”となります。こうした物質的・本能的・利己的な心は、低級霊・邪悪霊を強力に惹きつけることになります。地上人の「魂の窓(霊的エネルギーの取入れ口)」を閉ざし、善なる霊(守護霊・背後霊)の守りと導きを遠ざけることになるのです。
低級霊の働きかけを受けるのは“自業自得”
低級霊が付きまとう、低級霊に憑依された、低級霊の障りを受けたということは、その人間が悪なる要因を持っていることを示しています。善なる心がけ・高貴で利他的な精神を持っている人間には、低級霊は近づくことができません。その意味で、低級霊に支配されて苦しむのは“自業自得”と言わざるをえません。
低級霊の働きかけを排除するためには、祈祷師によるお祓いや心霊治療ではなく、本人自身の清らかな心境と正しい霊的知識が何より重要となるのです。
自ら低級霊を誘い込む人々
間違った霊的知識に縛られ、無意味な不安や恐れを生み出し、低級霊に付け入るチャンスを与えているような人が多くいます。心霊番組や心霊書が好きという人には、特にそうした傾向が強く見られます。
低級霊・邪悪霊は、隙あらば直ちに地上人に働きかけようとします。地上世界は常にそうした低級霊たちに取り囲まれていることを忘れてはなりません。霊界からは、地上人の心の動きが手に取るように分かるのです。地上人が物欲・利己心・嫉妬・怒り・情欲などの思いを持てば、低級霊・邪悪霊はすぐにそれをキャッチし、働きかけの絶好のチャンスとします。
むやみに心霊現象に関心を持つ者も、自ら低級霊を呼び寄せるようなことをしています。心霊現象に対する異常な関心は利己的動機から発していることが多いのです。また御利益信仰などに走る人間も、低級霊にとっては格好の餌食です。こうした人々は低級霊に、自分の方から「私をからかってください」 と言っているようなものです。また高級霊の支配が及ばない交霊会も、低級霊にとってはまたとない働きかけのチャンスとなります。霊との正しい交わりを求めるためには、低級霊を寄せつけない「地上人の清らかな心と高級霊の守護」が必要となるのです。
霊界への間違った好奇心や自らの利己心が「低級霊・邪悪霊」を惹きつけるようになることを、常に意識していなければなりません。
6.低級霊・邪悪霊への対処法
高級霊の守護を妨げる張本人は地上人
高級霊が地上人類の霊的成長のために働きかけようとすると、低級霊・邪悪霊が必ず妨害に出てきます。そのため高級霊は、低級霊の妨害を取り除いたり防いだりしながら、地上人に働きかけざるをえなくなります。
高級霊にとって地上への影響力の行使が難しいのは、地上の人間が肉体をまとっているため、霊的なものより物質的なものに容易に惹かれてしまうからです。そうした地上人の弱さゆえに、高級霊の働きかけは、なかなか実を結びません。すなわち高級霊の守護を妨げる張本人は地上人である、ということなのです。地上人サイドで正しい努力をしないかぎり、高級霊による守護には限界があるのです。
低級霊との闘いの鉄則
――“善なる心には善なる霊しか近づかない”
低級霊への対処法・闘い方は、「自分自身の心の持ち方を正す」という一点に尽きます。自分の心を正すということが、低級霊を寄せ付けないための鉄則なのです。他人への奉仕を心がけ、常に高級霊界の忠実な道具を目指す人間には、低級霊は働きかけることはできません。近づくこともできませんし、何の被害も発生しません。善なる心は善なる霊を引き寄せ、悪なる心は悪なる霊を引き寄せるのです。
低級霊・邪悪霊は、スピリチュアリズムに協力する人々の心を挫き、スピリチュアリズムから遠ざけようと画策します。そして周りの人間に働きかけて妨害したり、低俗な者たちを扇動して善なる活動に反対させようとします。
しかしスピリチュアリストが高級霊の導きを信じ、不動の姿勢を維持するかぎり、高級霊による守護の中で無事に乗り越えていけるようになります。
低級霊の働きかけを無視する
低級霊・邪悪霊の反抗勢力が地上に働きかけやすいのは、彼らが地上臭を持っているからです。低級霊の霊的波動は、地上的波動とよく合うのです。特に地上の低俗な人間・利己的な人間とは容易に接触ができるため、そうした者を自分たちの手先として利用するのです。
地上人が守護霊とタイアップし、守護霊からエネルギーを取り入れることができるなら、低級霊は近づくことはできません。地上人が高級霊や守護霊と一体となっているかぎり、低級霊の反抗がいかに巧妙で激しいものであっても心配する必要はありません。その意味で、低級霊の妨害や反抗を大袈裟にとらえることは、マイナスにこそなれプラスにはならないのです。地上人が騒ぎ立てるほど、低級霊は得意になってさらなる働きかけをするようになります。高級霊の影響力と比べれば、低級霊の力など大したものではありません。どのような形であれ、低級霊のちょっかいなどは無視すべきです。相手にさえしなければ低級霊は諦めて、働きかけをやめてしまいます。
特に注意を要する霊媒体質者
霊媒体質者(オーラの多い体質の人)の場合は、特に注意が必要です。霊媒体質者は低級霊にとって磁石のような存在であり、普通の人以上に低級霊を引き寄せてしまうからです。その結果、状況によっては生命に関わるような危険が生じることもあります。
したがって霊媒体質者が低級霊を寄せ付けないためには、次のようなことを心がけるべきです。「むやみに心霊現象に関心を持たない」「自分の心を清らかにして利己的な思いをなくすように努力する」「低級霊の働きやすい悪い雰囲気の場所や人込みには極力近づかない」――こうしたことを常に心にとどめ、高い心境を維持する人間には、低級霊は働きかけることができません。
自分自身の努力で低級霊を遠ざけるようにしないかぎり、他人(霊能者など)に頼んで力ずくで取り除いてもらっても、別の低級霊が取って代わるだけのことです。本人が命がけで心を変える努力をしてこそ、低級霊を退け身を守ることができるようになるのです。「利己的な考え方を変え、利他愛に基づく奉仕的精神を持つ」――これが低級霊を近づけないようにするための最善の方法なのです。お守りを身に付けたり、形だけの祈りや呪文を唱えても、何の効力もありません。
“憑依”への対処法
低級霊が霊媒体質者のオーラと接触して同調し、潜在意識を支配するようになることを“憑依”と言います。すでに何度も述べてきましたが、低級霊は霊媒体質者や霊能者に働きかけ、これを手足として悪事を働いたり、スピリチュアリズムを妨害しようとします。
霊について論じる際に必ず取り上げられるのが“憑依”の問題です。霊媒体質者が大きなショックを受けたり病気で身体が衰弱したようなときには「霊肉のバランス」が崩れ、憑依されやすくなります。また人によっては「罪の償い(カルマ清算)」のために“憑依による苦しみ”という道を歩まざるをえなくなることもあります。
しかしいずれの場合も、憑依の直接的な原因となるのは、本人の心のあり方です。利己的・本能的思いが“引き金”となるのです。前世のカルマが原因となっている場合でも、本人が高い心境を保つように努力するなら低級霊は近づけませんし、憑依現象も発生しません。
家族の一人が憑依されて気違いの状態になると、周りの者たちは振り回され、疲れ果ててしまいます。憑依された人間は何日も食事を摂らず、またほとんど寝ることもできなくなります。そして辺りを徘徊したり、家出をして放浪したり、物を壊したり、自殺を企てたりするなど手に負えなくなります。こうしたひどい憑依状態が続けば、家族全員がまともな生活ができなくなってしまいます。
憑依に対する現実的対処としては、精神病院に入院させることです。現代医学では憑依現象を“統合失調症(精神分裂症)”として扱います。急性期には、薬によって疲弊した身体を休ませ、心身のバランスを取り戻させることが必要です。患者の大半は、長期の不眠・断食状態で心身が衰弱しているからです。心身のバランスが戻れば、それに応じて低級霊の影響力も減っていくようになります。しかし本人がそれ以後、心の持ち方を変える努力をしないかぎり、同じことを繰り返すようになります。
低級霊の誘惑・働きかけを最終的に許すのは、地上人自身です。本人の心の持ち方いかんで、低級霊の働きかけが現実のものになるかどうかが決定します。低級霊は地上人の心に直接ささやきかけ、利己的思い・悪感情を誘発しようとしますが、地上人がそれを無視して相手にしなければ、結果的には何の問題も発生しないのです。(*“憑依”の問題については底辺が広く、ここで詳しく説明することはできません。ニューズレター23号(憑依現象と除霊について)やスピリチュアリズムの思想[Ⅰ](地獄とは)で、また『スピリチュアル・ヒーリングとホリスティック医学』第7章で詳しく取り上げていますので、それらを参考にしてください。)
【2】「神の摂理」執行の末端を担う霊的存在者
――“妖精”
1.妖精の存在
小さな精霊たち
これまで地上に一度も誕生したことのない霊的存在を「自然霊(精霊)」と言いますが、この自然霊の中で高級なものが「天使」であり、低級なものが「妖精」とか「原始霊」と呼ばれます。霊視能力の優れた者(*特に幼い子供)が偶然、人間の周りや自然界で忙しく働いている妖精を見ることがあります。また、物語で見たことのあるような小さな人間の姿をした妖精が突如現われて、人間に挨拶をするようなこともあります。
天使に関する内容の多くが地上人には明らかにされていませんが、この小さな霊的存在(妖精)についても、ほとんど知らされていません。とは言っても妖精の世界は、天使の世界のように、霊界サイドの深い配慮のもとで秘密にされているというわけではありません。妖精というあまりにも繊細な存在者についての認識は、人間の霊を認識する以上にデリケートな側面があるため、なかなかその実態を知ることができないのです。
霊界の存在でさえ信じられない人間が多くいる中で、天使や妖精の存在を信じることのできる人はさらに限られます。一般の人々にとって妖精は、ファンタジーやおとぎ話の中だけの登場人物であり、実在するものとは到底思えません。スピリチュアリストを自称される人の中にも、天使や妖精の存在については、にわかには受け入れがたいと思っている方がいらっしゃることでしょう。しかし天使も妖精も現実に存在し、私たち地上人と深い関わりを持ち、大きな影響をもたらしています。
ここではスピリチュアリズムにおいて明らかにされた範囲内で「妖精」について述べていきます。
妖精あっての人間の存在
自然界の造化・営み・維持という摂理の遂行は、精霊の働きによって成立しています。自然界の運行と維持に、天使と妖精の存在は欠かせません。妖精あっての自然界なのです。
また自然界ばかりでなく私たち人間の一つ一つの行為にも、妖精は深く関わっています。その意味で私たちは、妖精なしには存在することができないと言えます。それほど人間と妖精は密接な関係にあるのです。
幽界は妖精の雲海
私たちの住んでいる物質世界をミクロの視点から眺めると、バクテリアやウイルスなどの微小生物の大海が存在していることが分かります。この無数の微生物からなる世界は私たちの目には見えませんが、それは地球上の生命界の底辺層を形成し、すべての生命体を支える重要な働きをしています。この無数の微生物の生命活動のうえで、動物や人間といった上位の生命体が存在するようになっているのです。
霊界の妖精は、地上世界における微小生物から小生物に至る下位の生命体に相当します。幽界には、無数ともいえる妖精が存在し、それはさながら“妖精の雲海”と言ってもよいほどです。妖精の大群は、自然界の背後のあらゆる場所に存在し、幽界の下層全体を包み込んでいます。
地球全体を一つの有機的生命体であるとする“ガイアの思想”は、こうした妖精の存在を抜きにしては考えられません。妖精と地球の関わりを考慮したとき、初めてその深い意味が理解されるようになります。神の造られた世界の中で、妖精が存在しない場所はないのです。
2.妖精の役割・使命
天使は、神の王国の役人として摂理(王国の法律)を執行し、王国全体を管理する立場にあります。「神の摂理」を離れて存在するものは何ひとつありません。したがって神の王国の役人である天使の支配を受けない世界(霊界・宇宙)と存在物はない、ということになります。そうした天使の末端の仕事を受け持つのが妖精です。天使という神の王国の役人に雇われ使われる職人たち・労働者たちが、妖精なのです。
霊界全体が「高級天使―天使―下級天使」という天使界となっており、このヒエラルキーを通じて神の意志が伝えられ、神の愛とエネルギーが神の王国の隅々まで届けられるようになっています。妖精は、こうした天使のヒエラルキーの底辺、すなわちヒエラルキーの最下層に位置する下級天使のもとで働いています。下級天使の指揮下で、現場の仕事に携わっているのです。
摂理に基づく天使の支配は神の王国のすべてに及びますが、その末端には必ず妖精の一群が存在し、天使の手足として活動しています。自然界の創造・運行・維持は、すべて天使と妖精の働きによって進められています。妖精は霊界に充満する大気から「霊的エネルギー(生命エネルギー)」を取り入れ、それを物質条件の整った植物に届けます。その生命エネルギー(*これを“生命素”と言い、霊の一種です)が付与されることによって、植物は生命体として存在することになります。“生命素”は、植物の物的身体に合わせて「生命素体」を形成します。こうして生命体としての植物が成立するようになるのです(*この「生命素体」は、死とともに「生命素界」に戻るという形で消滅します)。
3.2つのタイプの妖精と、妖精界の全体
「想念霊」としての妖精
このように妖精は、天使の支配のもとで神の摂理を遂行する末端の仕事に携わっていますが、実は妖精は2つの種類に分類されます。
その一つが、下級天使によってつくられた“想念体”としての妖精です。下級天使が、自然界の造化・支配・運行という使命を果たすために、自らの想念で自分の分身となる霊的存在をつくり出すのです。霊界では、天使や人間の霊が一つのイメージを強く思い続けると、それが形を取って現われるようになります。こうした想念・思念によって発生した霊的存在を「想念霊」とか「思念霊」と呼びます。妖精の一つの種類が、この下級天使によってつくられた霊的分身です。
想念による妖精の誕生は、ちょうど孫悟空が自分の毛を一本引き抜いて息を吹きかけ、無数の小さな分身をつくり出すのと同じようなものです。
下級天使によってつくられた無数の「想念霊」は、精密なリモートコントロール・ロボットとして忙しく働くことになります。ロボットといっても意識が全くないというわけではなく、低次元の意識のようなものを持っています。地上界においてミツバチやアリが、高次元の意識がないのに全体として優れた集団行動をするのと、よく似ています。妖精の場合は、天使の意識を“共同意識”として一つの目的に向けて働くことになります。
こうして自然界のあらゆる所で、天使の想念からつくられた妖精が群をなして活動しています。そして妖精たちはやるべき仕事を終えると、消滅します。「想念霊」としての妖精は、天使や人間のように永遠の個別性を持ってはいません。動物が死後、個別性を失い「集合魂(グループ・スピリット)」の中に吸収されるのと同じように消滅していきます。
本当の妖精
――「原始霊」としての妖精
想念霊としての妖精とは別に、天使と同様に“神の分霊”を与えられ、独立した「個別霊」として創造された妖精がいます。これを想念霊の妖精と区別して「本当の妖精」「原始霊」と呼びます。この妖精は、進化の低い霊的存在として下級天使のもとに置かれ、そこで神の摂理を遂行する役割を与えられることになります。下級役人(天使)の末端の仕事・現場の仕事に携わるようになります。
こうした妖精たちは、自然界(地球)を形成する空気・土・水・火の要素別に存在し、それぞれの仕事を担当するようになります。すなわち“空気”に所属する妖精、“土”に所属する妖精、“水”に所属する妖精、“火”に所属する妖精に分かれて天使の支配を受けて働き、神に貢献することになります。まさに「原始霊」というべき存在者なのです。
この妖精たちの働きを一言で言えば、地球を形成する要素(世界)の進化に寄与する、ということになります。自然界の運行や自然現象、また自然災害は「神の摂理」によって展開していますが、それは具体的には天使と妖精の働きかけによってなされています。こうして地球を形成する物質界は、きわめてゆっくりとしたスピードで進化しています。
地球ならびに自然界の背後には、常に天使と妖精の存在があるのです。
*物質界(地球それ自体)が進化しているということは、なかなか受け入れられません。しかし物質界も神の摂理のもとで、徐々にではあっても確実に進化しています。
自然界の変化・天変地異は、人間の側からは“自然災害”として映ることが多いのですが、それは物質次元における進化のプロセスの一つなのです。そしてその自然現象に、天使と妖精が直接関わっているのです。
下級天使に進化する妖精
妖精(原始霊)たちが所属する4つの領域の間には、明瞭な線引きがなされていて、他の領域に入ることはできません。妖精たちは、それぞれの所属領域において、長い時をかけて進化の道をたどることになります。
なかには進化の果てに“下級天使”になっていく妖精もいると言われます。
アニミズムにおける“精霊たち”とは?
日本人は古来より土の神・水の神・火の神といったように多くの神々の存在を認めてきましたが、実はそれらはこうした妖精たちを霊視したものだったのです。アニミズムは無数の神々や霊的存在を認めるところに成立しますが、アニミズム信仰の対象となる精霊の多くは、自然界に遍在する妖精たちだったのです。
こうした観点からすると、すべての存在物と自然界に神々が宿るとする“アニミズム”は、まさに正しい霊的認識の上に立っていたことが分かります。
4.妖精の外見・身体・知性・意識・性別
外見・身体
妖精は地上近くに(ほぼ地上世界に接して)無数に存在していますが、それを認識することのできる霊能者は、ほとんどいません。その理由は、妖精は人間の霊のように常に一定の身体形式(霊体)を維持してはいないからです。また妖精は天使とは異なり、地上人が認識しやすいような姿をなかなか取ってはくれません。妖精たちは普通、エネルギーの靄、あるいは無数の光の点のような状態で存在しています。こうした理由から、妖精が地上人(霊能者)によって認識されることは、めったにないのです。
稀に地上人が妖精の姿を見ることがありますが、それは妖精が無意識のうちに地上人の“エクトプラズム”を引き寄せて、自らを物質化させたものです。物質化した妖精の多くが人間のような容貌や身体をしていますが、実はこれは地上人の先入観に相応してでき上がった姿なのです。時に妖精は、地上人の思いを汲み取って自分の姿を物質化させ、地上人に見せることがあります(*世界各地で妖精に出会ったという話が聞かれますが、その“妖精の姿”は国や地域によって違っています。それは人々が抱いている妖精のイメージが、それぞれ異なっているからです)。
天使はもともと光り輝く存在(光源体)として存在していますが、地上圏に降りてくるときには、地上人と同じ身体形式をわざわざこしらえます。妖精が小さな人間の姿をつくり出すのは、(天使のような意識は持っていないにしても)これと同様のことなのです。
知性・意識
本当の妖精(原始霊)であっても、天使や人間のような高度な知性と意識を持っている者は、それほどいません。しかし進化した妖精の場合には、地上の動物より遥かに高次の知性と意識を持っています。
一方「想念霊」としての妖精の行動は、地上の動物や昆虫のように無意識的・本能的になされます。想念霊の妖精は、自発的な知性的判断ができませんし、理性的思考に基づく意識もありません。支配する天使の意識が一群の妖精の“共通意識”を形成します。当然、そこには天使や人間のような個別意識・独立意識はありません。そして役目を終えると消滅するようになります。
性別
天使と同じく妖精も、男女(雌雄・陰陽)間の生殖行為によって繁殖するようにはつくられていません。したがって妖精には、本来的に性別はありません。しかし天使と違って妖精は、地上人の意識に大きく影響される要素を持っています。知性的にも進化の点でも地上の人間の方が高いため、妖精は地上人の影響を受けるようになるのです。
次で述べますが、人間は妖精の進化に影響を与えるため、ある意味で妖精に対して責任を負っています。人間は動物に対して支配力を持っている代わりに、動物の進化について責任を負うようになっていますが、それと同様に妖精に対しても責任を負っているのです。
妖精は地上人を真似て結婚したり、夫婦生活を演出することがあります。しかしこれは小さな子供が、大人を真似て“ままごと遊び”をするようなものです。したがって妖精が男女の区別をもって現れ、その姿が霊視されたとしても、それを真に受けて“妖精にも男女の区別がある”と考えてはなりません。どこまでも演出した男女である、ということです。演劇で男役・女役を演じているのと同じことなのです。
一方、妖精は自然界の存在と営みに直接関与しますが、その際、地上世界の男女・雌雄・陰陽の区別に相応した身体をつくるようなこともあります。地上世界の状況に合わせて、無意識のうちに男女・雌雄の区別をつくり出すのです。
5.地上人と妖精の関わり
妖精の進化に対して責任を負っている人間
天使とは異なり、妖精には強い個別意識や独立意識がないため(*よほど進化した妖精は別として)、進化の進んだ存在者の支配や影響を受けるようになっています。妖精に対して最も支配力を持っているのは言うまでもなく天使ですが、地上の人間も大きな影響を及ぼします。その点で妖精は、地上の動物たちと似たような境遇にあると言えます。
これは、心がけの良い人間が近くにいれば妖精は素晴らしい霊的存在者となるが、悪い人間が近くにいるとその影響を受けて邪悪な精霊にもなりかねない、ということを意味しています。地上世界の犬でも、愛のある飼い主に育てられればその性格は穏やかになり「集合魂(グループ・スピリット)」としての進化が促されますが、人間に苛められ愛を与えられなかった犬は、性格もいじけ、人間を恐れ嫌うようになります。当然、集合魂の進化は促されません。妖精もそれと同じような状況に置かれています。
地上人は、「動物を愛してその進化に寄与する」という責任を神から与えられていますが、幽界の妖精たちに対しても――「彼ら(妖精)の進化を促し神の王国の進歩に貢献する」という責任を負っているのです。
地上の物質中心主義・利己主義は、妖精世界の破壊者
地球上の大半の人間は、物質中心主義・利己主義に陥っています。地上人の「物質中心主義」と「利己主義」は、自然界にとっては破壊勢力以外の何ものでもありません。神が計画し、天使と妖精が関わってつくり上げた地球上の自然界は現在、とても惨めな状況にあります。そして人間は、霊界からの天使と妖精の働きかけを妨害し続けています。
人間が「神の摂理」に忠実に従ってその責任を果たすなら、天使と妖精との協力関係の中で、もっと素晴らしい環境・自然界をつくり出していくことができるのですが、これまでの地球人類の歩みは、それとは正反対のものでした。動植物を痛めつけ苦しめて悲惨な状態に追い込んできたばかりでなく、動植物を支配・管理する天使や妖精に対しても大きなダメージを与えてきました。
妖精の復讐?
人間が生きていくうえで必要な環境として造られた自然界は、人間が摂理にそって生きるかぎり、快適さと喜びを与えてくれるようになります。しかし「物質主義」と「利己主義」という摂理に反した地球人類の生き方は、自然界を破壊し、人々はそれ(罪)に見合った罰を受けるようになっています。「神の摂理」から逸脱した地球人類を正道に立ち戻らせるために、修正プロセスとしての「償いの摂理」が自動的に働くようになっているのです。
地球人類の利己的生き方の償いの道は摂理によって展開し、人々にとって辛い状況(苦しみ)を招くことになります。その代表的なものが“自然災害”です。自然災害は実際には、摂理にそった地球の活動の一つ・自然現象の一つにすぎませんが、それを人間サイドから見ると“神が天罰を与えた・自然界が人類に復讐した”というように映るのです。
こうした自然現象を通して地球人類は、摂理への違反という「カルマ」を清算することになります。これは“自然災害”は結果的に「償いの摂理」と関連して生じているということになり、霊的視野から見れば、人類にとって必要なもの・ありがたいものと言えます。
天変地異・自然界の異変・自然災害のすべては「神の摂理」に基づいて発生し、それらには天使と妖精が関わっています。そうした状況を霊的能力の優れた霊能者が霊視すると、無数の妖精(想念霊の妖精)が集団を形成し、人間に復讐しているように映ります。
しかし妖精は、復讐心や明確な目的意識があって“自然災害”を引き起こしているわけではありません。地上の昆虫が無意識に人間が丹精込めてつくった農作物を食い荒らすように、妖精による自然災害もすべて無意識のうちに進められているのです。毛虫には“人間がつくった農作物を食べて困らせてやろう”などという悪意は全くありませんが、人間には悪意・敵意があるかのように感じられてしまうのと同じことです。
地上人のオーラは、妖精にとっては毒ガス
物質主義・利己主義・本能主義に支配された地上人から発せられるオーラは、妖精にとっては“毒ガス”に等しいものです。ただでさえ物質界は重苦しい所であるのに、利己的・本能的な人間が発するオーラはどす黒い覆いのように感じられます。人間の心は悪意と敵意と嫉妬に満ちていて、そのエネルギーは妖精を窒息させてしまいます。
したがって人間の欲望とエゴが渦巻く大都会には、妖精は長居をしません。自分の仕事が終われば、サッと姿を消してしまいます。神を心から信じ、利他的精神に満たされた人間を妖精は好みます。妖精は、そうした人間にエネルギーを与えたいと思うのです。霊性の高まりとともに人間は無意識のうちに自然界の雰囲気を好むようになりますが、それは妖精との触れ合いを求める“霊的本能”があるからです。妖精は、自然を愛する人間に親しみを感じ、近づきたくなるのです。
6.妖精と農業問題・環境問題
妖精との協力関係に基づく農業
地上の人間が摂理にそった生き方を心がけ、高い霊的意識を持ち、純粋な利他的愛で心を満たすとき、妖精と最も近しい関係を築くことができます。地上人の思いはそのまま妖精に届き、妖精の心を喜ばせます。
そうした関係ができ上がると、地上人は自然界に対して“愛”による支配力を持つようになります。心の清らかな農夫、奉仕精神にあふれた利己心のない地上人が育てる農作物は、そうでない人のものとは明らかに違っています。妖精からの全面的な協力を引き出した農業は、理想的な農作物を育てることができるのです。飼い主によって動物が変化するように、農作物や植物も、育てる人間の「霊性」によって大きく変化するのです。
将来の農業は、妖精とともに行う“霊性農業”が主流になっていきます。現在では、物質欲に駆られた農業が支配的であり、自然を破壊し、妖精の努力を無にする“収奪・エゴ農業”となっています。その結果、人間にとって理想的とは言えない作物を収穫するようになっているのです。
「環境問題」の究極の解決法
人間が神の摂理に忠実に従っていれば、妖精の協力のもとで、ある程度までなら自然界を支配することが許されるようになります。妖精の全面的な協力を得られるような状況においては、自然界を部分的にコントロールして雨を降らせたり、自然状況を変えることもできるようになります。
妖精の中で高級なものは“デーバ”と呼ばれ、かなりの知性を備えています。地上で特殊な心霊現象を起こす際には、このデーバが背後から現象現出のための働きをします。その力が、人間の希望に応じて自然界を部分的に変化させてくれるのです。
このように見てくると、現在の地球人類が抱えているさまざまな「環境問題」の究極的な解決法は、人類が「霊性」を高める努力をする以外にはないことが分かります。環境問題の解決は、人々が摂理にかなった生き方をして初めて可能となるのです。
現在の地球上では、人間のエゴ的な物欲追求の結果“地球温暖化問題”が発生して大騒ぎをしています。こうした問題は、人間自身が「神の摂理」にそった経済活動をするようにならないかぎり、根本から解決することはできません。
【3】思念によってつくり出された霊的存在者
――“想念霊・化身霊”
1.霊界ならではの不思議な霊的存在者
想念霊・化身霊
幽界の下層には、これまで述べてきたように未熟な霊たちや妖精などが存在していますが、それ以外にも「想念霊・化身霊」という特殊な霊的存在者がいます。下級天使の思念によってつくられる妖精は、この「想念霊」に相当します。想念霊・化身霊は幽界に数多く存在し、地上の霊能者によって霊視されます。
ここでは「想念霊・化身霊」について見ていきます。
2.想念霊(思念霊)とは
霊界における思念の形体化
天使や人間が、一つのイメージ(思念)を一定の時間保持すると、霊界ではそれが映像化したり形体化するようになります。心の内容が映像となったり形となって、周りの人たちに認識されるようになるのです。これは地上世界では起こり得ないことですので、地上人からすれば、実に不思議な現象です。現に他界直後の新参者(霊)は、幽界でこうした状況に出くわし、たいへん驚くのです。
しかし“思念の形体化”という現象は、霊界ではきわめてありふれた出来事なのです。霊界から見ると、思念と現実が分離している地上世界こそがむしろ特殊であり、特別な世界と言えるかもしれません。
霊界では思念の形体化によって、自分の好みのモノや環境を自由につくり出せるようになります。霊界は、まさに各自の好みの想念体が環境をつくっている世界なのです。
霊がつくり出す自分の分身
思念による「形体化現象」は、モノや環境だけに限定されたものではなく、自分自身の分身をつくることもできるのです。天使が自分の分身(妖精)を思念でつくり、その分身たちに仕事をさせていることを述べましたが、それと同じようなことが誰にでも可能となります。こうしてつくり出された霊が「想念霊(思念霊)」です。
面白いことに想念霊は、精密なロボットのように作り主の意図にそって活動します。飼い主に忠実な犬のように主人(作り主)の命令に従って働きます。そして作り主の関心が想念霊から別のものに移ると、想念霊は消滅します。想念霊は作り主の意識が向けられている間だけ外形を維持し、分身として活動するのです。
無意識のうちに想念霊をつくり出すこともある
幽界には、天使や人間によってつくられた「想念霊(思念霊)」が数多く存在します。それが地上の霊能者によって霊視されるのです。
こうした想念霊は、人間が意図的に意識を集中させていなくても発生することがあります。後で述べるように、地上人が一生懸命に祈祷をしているときなど、崇拝対象に対する強い思いが無意識のうちに想念霊をつくり出すことになります。
*大半の地上人は自分で「想念霊」をつくりながら、それを見ることはできません。霊視能力を持った霊能者は「想念霊」を見ることがありますが、たいていの場合、その想念霊をつくり出したのが自分であるとは気づかずに、驚いたり、恐れおののくことになります。
3.さまざまな想念霊
天使と人間だけが想念霊をつくる
想念霊(思念霊)をつくることができるのは、高度の知性を持った天使と人間に限られます。ここに天使と人間の特殊性があり、神の王国の中での特別な立場が示されています。
天使が「想念霊」としての妖精をつくり出し、神の摂理を執行していることはすでに述べました。天使の行為のすべては「神の摂理」にそっているため、摂理から外れた想念霊をつくり出すようなことはありません。たまに天使がつくった想念霊が、人間の悪意に影響されたり利用されるようなことがありますが、これは例外的な出来事です。そうした事態は天使の意志から生じたものではないため、天使が責任を問われるようなことはありません。
問題は、地上の人間です。人間は“自由意志”を与えられているため、「神の摂理」に背くことができます。そして醜い思いを抱いては、たびたび“悪なる想念霊”をつくり出します。その邪悪な霊的分身が、悪質な地上人や低級霊の手足として働くようになり、善良な人々に迷惑を及ぼすことになるのです。
低級霊がつくり出す迷信上の存在物
幽界には、霊的に未熟な「低級霊・邪悪霊」の類が数多く存在します。彼らは意図的に想念霊をつくり出し、地上人に対して悪事を働きます。地上人を怖がらせたり、霊能者をからかう目的で、迷信上の存在物をわざとつくり出します。こうして“狐や狸や蛇”などが存在するようになるのです。また“竜神やサタン(悪魔)”をこしらえて霊能者にそれを霊視させ、驚かせようとします。
このように幽界では、低級霊・邪悪霊による悪事がひんぱんに行われています。
邪悪な思いは、邪悪な想念霊をつくり出す
一方、地上人が悪意を持って他人を呪ったりすると、その念が「想念霊(思念霊)」をつくり出すことになります。もちろん本人は、自分が邪悪な霊的分身をつくり出すようなことをしているとは思いもしませんが、そうしたことが実際に発生しているのです。このような事実に照らしてみると、私たち人間の思いがいかに大きな影響力を持っているのか、私たちの思考がいかに重要な責任をともなっているのかが明らかになります。
物質主義と利己主義が支配する地上世界において、人間が発生させている「想念霊」は邪悪で醜悪なものばかりです。こうした想念霊が地上人の周りを取り巻いて“毒ガス”のような霊的雰囲気をつくり出しています。その汚れた醜悪な雰囲気は、霊的に敏感な者に苦痛や不安感を与えることになります。邪悪な心を持った人間は、どす黒いオーラを発散させるだけではなく“邪悪な想念霊”をも生み出しているのです。
熱心な祈りも想念霊をつくり出す
また地上人が熱心に神仏を信仰し、真剣にお参りをしたり必死に祈祷をするようなとき、その人の念が、信仰対象とされる“神仏の想念霊”をつくり出すようなことがあります。それが霊的能力のある人間によって、実在する神仏の姿として霊視されるのです。地上の信仰者の中には、自分自身でつくり出した想念体の神仏を見て、さらに信仰に打ち込むようになる人もいます。時には、物質化した想念霊を多くの人々が同時に見るような場合もあります。すると、そこに“本当に神仏がいる”ということになってしまいます。
熱心なクリスチャンが、「祈りの最中にイエスの姿を見た」と語ることがありますが、彼らが見たという“イエス”は、多くの場合、自分自身がこしらえた想念霊です。確かにそのクリスチャンはイエスを見たのですが、それは本当のイエスではなく、自らの思念でつくり出したイエス像だったのです。
想念霊がウヨウヨしている寺社や霊場
神仏の想念霊(思念霊)は、人間によってつくられるものばかりではありません。「低級霊」が、地上人をからかうために神仏の想念霊を意図的につくり出します。その想念霊を物質化させれば、さらに効果は高まります。たいへんな評判が立ち、人々を意のままに操ることができるようになります。人々が熱心にお参りをする寺社や行場・霊場などには、こうした想念霊がウヨウヨしています。低級霊にとってそこは、絶好のいたずら・からかいの場所となっているのです。
無知な霊能者は、このような状況を見て適当なことを言います。人々が何も知らないのをいいことに、この神社は磁場が高いとか、この霊場は霊的エネルギーが強くて霊験あらたかであるなどと、平気で口から出まかせを言うのです。こうして人々は、ますます低級霊に騙されることになってしまいます。
4.化身霊(変化霊)とは
グロテスクな霊的存在
幽界には、見るからに怪物のような、まるでお化けとでも言ったらよいような“グロテスク”な霊的存在者がいます。この異様な霊的存在者は、もともとそうした醜悪な姿として神に創造されたわけではありません。
実はそれは「低級霊・邪悪霊」が、自らの姿をそのようにつくり変えたものなのです。あるいは彼らのあまりの霊性の低さがそのまま身体に反映して、化け物のような容貌をつくり出してしまったものなのです。地上人の中にも、心の醜さが外見にまで表れている人間がいますが、それと同じことです。霊界では、地上とは比較にならないほど内面の状態がストレートに外面に反映されるため、容貌の醜さが何倍にも増幅されるようになるのです。
霊たちの化身(変化)
霊界では、天使や妖精や人間の霊は、必要に応じて、あるいは自分の好みに合わせて、自分自身の姿を自由に変えることができます。天使が地上圏に降りてくるときには、わざと人間の姿をとって現れます。幽界にいる妖精たちは、地上人の真似をして自分の姿や衣服をつくります(*「妖精」については先に述べたように、無意識のうちに地上人の先入観に相応した姿をとることもあります)。
一方、霊界にいる霊たちも、それと同じように自分自身の姿をつくり変えることができます。若返りを願っている者は、いつの間にか若いときの姿に戻ります。もっと背が高くて筋骨たくましい肉体がほしいと望んでいる男性(霊)は、願い通りの身体を手に入れることができるようになります。理想的な美人になりたいと切望している女性は、まさに期待通りの容姿になるのです。
このように霊界では、自分自身の姿を自由に変えることができるのです。これを“化身”とか“変化”と言います。そしてこうした霊たちを「化身霊(変化霊)」と言います。
オーラや色彩こそが霊の本質を示す
化身によって一時的につくった外面は、いつまでも維持されるわけではありません。化身を繰り返していた霊たちも、霊的成長にともない、本質的な変化こそが重要であることに気がつくようになります。「霊性のレベル」を示すものは、表面的な容姿ではなく、もっと次元の高い別のもの、すなわち“オーラや色彩”であることを知るようになります。そしてそれまでの外見に対する好みは自然に消滅していきます。
しかし他界して間もない新参霊には、「化身現象」を楽しむ時期があります。地上人が化粧やファッションを楽しむのと同じことです。彼らの多くが初めは、そうした霊界ならではの現象を喜びますが、徐々に化身現象が当たり前になり、関心が薄れていきます。
低級霊の悪意による化身(変化)
さて、化身が地上人にとって問題となるのは「低級霊・邪悪霊」の場合です。化身が低級霊によって行われると、実に厄介な問題を発生させることになります。低級霊たちは化身(変化)を利用して、霊視能力を持った地上の霊能者をからかったり、恐怖を与えようとするのです。
霊界からは、地上人の心のうちが手に取るように分かります。目の前の人間が、何を恐れ何を信じ込んでいるのかを的確に察知することができます。低級霊はそれに合わせた姿をつくって霊能者に見せるのです。稲荷信仰をする者には“狐の姿”をして現れ、蛇信仰する者には“大蛇の姿”を装って現れます。キリスト教徒には“サタンやデビル(悪魔)の姿”で、神道信者には“神の姿”で、そして仏教徒には“菩薩や観音の姿”で出てきます。また歴史上の有名人の姿を真似て現れることもありますし、竜神や天使の姿をとって出てくることもあります。そして地上人を驚かせたり、恐れさせたりして楽しむのです。
しかし低級霊・邪悪霊が化身(変化)した姿を持続できるのは一時だけです。そうした姿を保ち続けることは、低級霊にとってもうっとおしいことなのです。また化身霊として騙せるのは地上人だけであって、霊界の霊たちは皆、自分の悪事を見抜いていることを知っています。
「想念霊」と「化身霊」の違い
想念霊(思念霊)は、天使や人間が自分の分身としてつくり出した霊的存在です。一方、化身霊(変化霊)は、低級霊が自分自身の姿を一時的に変化させたものであり、両者は根本的に違っています。
しかし地上の霊能者には、それらの区別がほとんどつきません。低級霊は、地上人を騙して困らせるために「想念現象・化身現象」を上手に用いるのです。そして無知な霊能者を、自分の手先として利用するのです。
*霊視される動物霊・竜神・サタンの実態
西洋のスピリチュアリズムには、日本のように“狐・狸・蛇・竜”といった霊的存在物が登場することは、ほとんどありません。これは地上世界の迷信や風習が、そのまま幽界下層にまで反映している実例と言えます。
浅野和三郎による和製スピリチュアリズムでは、スピリチュアリズムで言う天使を“竜神”として取り扱っています。しかしこうした認識も、やはり東洋独自の迷信や風習の影響を受けたものと言えます。一方、キリスト教の世界では、霊能者が“サタン・デビル”を見たという話を聞きます。
このような霊視の対象は実際の存在物ではなく、次のいずれかの理由でつくり出されたものなのです。
- ①霊能者の全くのウソ・作り話(*実際にはこれが一番多い)
- ②低級霊がつくり出した想念霊
- ③低級霊の化身霊
- ④霊能者自身がつくり出した想念霊
- ⑤周りの地上人がつくり出した想念霊
5.想念霊・化身霊への対処法
最後に「想念霊」や「化身霊」への対処法について見ていきます。
低級霊にとって都合のいい“無知な霊能者”
低級霊・邪悪霊は意図的に「想念霊」をつくり出したり、自らが「化身霊」となることによって地上に問題を発生させようとします。低級霊はこうした霊界ならではの現象を利用して、地上人をからかったり困らせようとするのです。ただし想念霊や化身霊の演出が威力を発揮するためには、それらを霊視できる霊能者がいなければなりません。霊能者による霊視など頭から馬鹿にして信じない人には、想念霊も化身霊も威力を発揮することはできません。
地上の霊能者に「想念霊」や「化身霊」についての正しい霊的知識があるなら、低級霊に騙されたり、挑発や脅しに乗せられることはありません。しかし残念ながら地上のほとんどの霊能者は、こうした問題に関する基本的な霊的知識さえ持っていません。そして霊視によって見えた姿をそのまま信じ込み、低級霊にいいようにからかわれ、利用されるようになっています。
本来は、低級霊の働きかけなど初めから相手にせず、彼らの騙しの手口を暴くべきなのです。それができる霊能者には、低級霊は恐れを抱いて近づかなくなります。騙しやすい霊能者であることを知ったうえで、低級霊は接近をはかるのです。“絶好のカモ”であることを見抜いて利用するのです。そして霊能者の言うことを鵜呑みにする人間が多くいればいるほど、低級霊はますます張り切ってウソを演じ続けます。“キツネだ、タヌキだ、ヘビだ”などと自慢気に語る霊能者は、低級霊にとって実に都合のいい道具なのです。
対処法〈1〉
――正しい霊的知識を身につける
想念霊・化身霊への対処法としては、まず第一に「正しい霊的知識を身につける」ということです。低級霊の手口を知っておけば簡単に正体を見破ることができますし、そうした地上人を低級霊は騙そうとは思わないものです。
霊視能力がなくても問題はありません。霊能者が“キツネが見えた”と言っても、低級霊の暗躍を見抜くことができます。無知な霊能者を騙すことはできても、霊的知識を持った人間を騙すことはできないのです。
対処法〈2〉
――低級霊の演出を無視し相手にしない
低級霊は、地上人に恐怖を与えようと常に目論んでいます。それによって守護霊の地上人に対する助力の道が遮断され、思い通りに操ることができるようになるからです。人々を脅すために悪なる想念霊をつくって圧力をかけたり、祈りの最中など霊的に通じやすいときにチョッカイをかけたりします。また変化した姿を霊能者に見せて動揺を与えたりします。
低級霊による挑発は一切無視し、全く相手にしないことです。そして不安や恐怖心を抱かないように心がけるなら、低級霊はそれ以上、働きかけることはありません。
「正しい信仰」こそが最大の防御策
霊的真理に基づく本物の信仰は、「低級霊・邪悪霊」に対する最高の防衛策となります。善なる霊と一つになっている者には、悪なる勢力は近づけません。利他愛の実践に専念している人間には、霊界から最大限の守護と導きが与えられます。高級霊を信頼して人類のために人生を捧げようとするなら、何ひとつ心配は要らないのです。
正しい信仰姿勢さえあれば、全く問題は発生しません。低級霊に騙されるようなことにはなりません。高級霊によって低級霊の妨害は取り除かれるようになります。「正しい霊的知識」「悪の挑発を無視する気迫」「善なる勢力の一員であるとの確信と信頼」――こうした真理に立った確固たる信仰があれば、低級霊・邪悪霊の働きかけを粉砕することができるのです。