死の直後の様子と幽界での生活―1
ニューズレター第39号
地球人類にとっての最大の悲劇は、「霊的無知」という一言に言い尽くされます。すなわち死と死後の世界について、何も知っていないということです。地球人類はスピリチュアリズムによって、初めてこの霊的無知を解決することができるようになりました。
スピリチュアリズムは、どのような宗教よりも死と死後の世界の事実を明らかにしています。スピリチュアリズムが地球人類にもたらした最高の恩恵の1つが――「死は喜びである」ということを明らかにしたことです。その意味でスピリチュアリストは、他のいかなる地上人よりも死の意味を正しく理解し、死を喜びと考え、そのうえで地上人生を「霊的価値観」に基づいて生きていかなければなりません。死は、恐れや悲しみではなく喜びであることを、実際の生き方を通して人々に示していく必要があります。
そうした目的にそって、今号と次号の2回にわたり死と死後の世界について学んでいくことにします。「死の問題」は知識としては知っていますが、それを新たな角度から学び直し、実感を持つことができるようにしたいと思います。
シルバーコードが切れる瞬間が“死”であることはスピリチュアリストなら誰もが知っていますが、では死を迎えた人間は、その後どのような歩みをするのでしょうか。今回学ぶ内容は次のようになっています。
【1】平均的人間の死の直後の様子
地上から霊界に入っていくプロセスは、本人の霊的成長の度合や霊的知識の有無・地上での体験によって千差万別となります。決まった一律のプロセスというものはありません。聖人と言われるような人間と、単なる普通の人間、また極悪非道な人間が死後、全く同じ道筋をたどるようなことはありません。
とは言っても大部分の平均的男女、長所も短所も持ったごく普通の人間(*一般的に言う善人)には、ほぼ共通した傾向が見られます。ここではそうした常識的人間・平均的人間がたどる死後のコースを見ていくことにします。そのコースは次のようになります。
- 死の眠りからの目覚めと混乱
- ↓
- 死の自覚の芽生え
- ↓
- 迎えの霊たちとの対面
- ↓
- 幽界の休息所
- ↓
- 幽界の審判
- ↓
- 幽界での本格的な生活の開始
1.死の眠りからの目覚めと、死の自覚の芽生え
シルバーコードの切断
シルバーコードは、ハサミやナイフで切るように、スパッと切れるわけではありません。普通は伸びたり縮んだりしながら、徐々に細くなって切れていきます。シルバーコードが切れるときは、大半の人は意識を失い深い眠りの状態に入ります。全身麻酔をかけられたような状態と考えたらよいでしょう。
シルバーコードが切れる際には、霊界の霊たち(*その多くが、地上時代に本人と深い関係にあった家族や知人など)がコードを切り離す手伝いをします。もし、そうした人々の手に負えないようなときには、霊界にいる専門の医師が立ち会って手助けをすることになります。
実は死者の霊体を肉体から離れさせるには、かなりの技術が必要とされます。霊体と肉体との間には、クモの巣のようなネットワークが張りめぐらされています。2本の太いシルバーコードは、その中で特別なものです。それらを穏やかに切断してあげないといけないのです。病死の場合であれば、時間をかけて1本ずつ切り離していくことになります。急激に切断すると地上人の霊的意識にショックを与えるようになり、その後の幽界での生活に、わずかですが障害をもたらすことになるからです。
死の眠り
霊体と肉体を結んでいたシルバーコードが切れる瞬間は、本人は半睡眠状態で、ほとんど意識を失っています。これが「死の眠り」です。死に際しての苦悶の表情や身もだえの様子を見るのは、死を看取る地上人にはとても辛く、いたたまれない気持になりますが、当の本人は何の苦しみも痛みも感じていないのが普通です。
傍からは、死にかけている人の顔が苦痛に歪んでいるように見えても、もうこの時点では本人には全く苦痛はありません。苦しいのは意識を失う前であって、死ぬ時ではないのです。昔からよく“死に顔が悪いと地獄へ行く”といったようなことが言われてきましたが、これは単なる迷信であって事実ではありません。
死の眠りからの目覚めと混乱
シルバーコードが切れると、霊体だけになった人間は、いよいよ地上を離れ霊界(幽界)に入ることになります。その際、人の心がさまざまであるように、死んで霊界に入るまでのプロセスも一人一人異なります。ここでは、ごく普通の“善人”と言われる人の死の直後の様子を見ていきます。
深い眠りに落ちた後、シルバーコードが完全に切れて霊体と肉体が分離すると、やがて本人は麻酔から醒めるように目を覚まします。目覚めるまでの時間は、人によって異なります。(*いつまでも目覚めることなく暗黒の境涯に堕ちていく者がいる一方で、反対にほとんど眠りのプロセスなくして霊界入りする人もいます。)
自分の遺体と泣き悲しむ人々を見る
死の眠りから目覚めると、ある人はぼんやりした意識の中で、自分とそっくりの人間がベッドに横たわっているのが見えます。人によっては、あまりにも自分に似ている人間を見て驚きます。さらに不思議なことに、先程まで自分の病室に集まり、最後の別れをしたはずの家族や親戚の人たちの泣いている姿が見えます。
そこで「私はここにいるよ!」と大きな声で叫ぶのですが、その声はいっこうに伝わりません。それでその人たちの肩を叩いたりするのですが、全く気がついてくれません。周りの人たちは皆、自分がそこにいることが分からないのです。
死の自覚の芽生え
大半の人間はこうした状況に非常に戸惑い、不安に駆られ、混乱するようになります。自分を取り巻く様子に大きな不安を抱き、動揺するようになります。「自分の頭がおかしくなったのではないか?夢を見ているのではないか?」と混乱状態に陥るのが普通です。(*しかし生前、死後の世界があることを信じていた人は“自分は死んだのかもしれない”と気がつくようになります。)
やがてそうこうするうちに、すでに死んでいるはずの人たちが現れることもあります。10年前に死んだ父親、2年前に死んだ妹も現れます。そうした縁者たちに――「あなたは、もう死んでいるのですよ」と教えられ、「ひょっとしたら自分は死んだのかもしれない」と思うようになります。このようにして少しずつ「死の自覚」が芽生えるようになります。
*死から「死の自覚(霊的意識の覚醒)」までの時間は、人によってさまざまです。霊格や知識・地上での習性によって、時間が長くなったり短くなったりします。死の自覚ができると同時に「霊的意識」が芽生え始めるようになります。「死の眠り」から覚めても、混乱状態がひどかったり、なかなか死を自覚できないときには、再び死の眠りを継続するような状態に置かれます。眠りを通して、調整と自覚が促されることになります。
*地上人生をあまりにも利己的・本能的に過ごしてきた人間の場合、「死の眠り」から直接、暗黒の境涯に堕ちていくことがあります。これは地縛霊の1つのケースですが、この問題については別の機会に取り上げます。それとは反対に、ほとんど眠りのプロセスを経ずして幽界を通過し、霊界入りする人間もいます。これは霊格・霊性のきわめて高い人間(*イエスのような)の特殊なケースです。
2.迎えの霊たちとの喜びの対面
感激的な再会
死の自覚が芽生え始めると、すでに他界している親族や兄弟・知人が目の前に現れるようになります。実はこうした親族たちは、死に際してずっと付き添い、新しく霊界入りするための手伝いをしてくれていたのです。本人に死の自覚が生まれると「霊的視野」が開け、周りにいた人々の姿が見えるようになるのです。
死後、自分が死んだことに気がつくと、喜びの時が訪れます。すでに亡くなっている人たち、自分と親しかった人たちが大勢集まり、自分の霊界入りを心から歓迎してくれる「最も感激的な再会の体験」をすることになります。
霊界にいる霊たちは、地上人の死を正確にキャッチ
霊界では地上の縁者・知人の死は、正確に知られるようになっています。死の時が近づくと、地上人を迎えに幽界まで降りることになります。
迎えの霊たちは、生前の姿をとって現れる
霊たちは一時的に、どのような姿形をとることもできます。それによって新たに霊界入りした者に身元を知らせることができるようになります。地上で幼くして亡くなり、親よりも先に霊界に入った子供は、その母親が霊界にきた時には、一時的にかつての子供の姿で現れます。母親はそれによって間違いなく、我が子を認識することができるようになります。このため霊界での再会においては、何の問題も生じません。
3.幽界の休息所
親族や知人たちの歓迎を受け、しばらく彼らと対話をした後、出迎えにきてくれた中の一人(*地上時代の守護霊または知人が多い)に連れられて休息場所に行くことになります。そこで安らかな半睡眠状態で、休息をとるのです。
死んで間もない新参者は、いまだ地上の波動を持ち続け、すぐに霊界になじむことができません。そのため休息所で、自分の身体や精神を霊界に適応させるための調整が行われることになるのです。その間に、霊体にまとわり付くように残っていた「幽質接合体」の残滓は脱ぎ捨てられ、霊体(幽体)だけの存在になっていきます。
もちろん自分の死をすぐに自覚できるような人、あるいは生前から死後の世界の存在を知り地上にいながら霊的な歩みをしてきた人の場合は死後、休息所での意識と身体の調整は必要ありません。
4.幽界での審判
地上時代のすべての体験・行為が、眼前に示される
休息場所ではこうした適応プロセスが進行する一方、半醒半睡の状態(まどろむような状態)の中で、地上時代の自分の歩みを回顧することになります。自分の目の前に、地上時代のさまざまな出来事が、映画のスクリーンのように展開していきます。その中にはすでに忘れていた出来事も含まれています。地上でなした行為が洗いざらい示され、より高い指導霊のインスピレーションの影響を受けながら見つめ、地上時代のすべての行為を自ら査定することになるのです。
これが「幽界での審判」と言われているものの実際です。
自分で自分を裁く
そこでは「霊的法則」の働きによって、自分で自分を審判し裁くことになります。他の霊が審判し裁くのではありません。地上の裁判のような討議も証拠提出も、一人一人に対する査問などという手間もなく、地上時代のもろもろの行いの霊的価値がひとまとめに明らかにされ、即座に結果が出るようになっています。しかも地上とは異なり、一切のごまかしや言い訳が効かないのです。何が間違っていたのか、どうすればよかったのか、といったことが明瞭に分かるようになります。
霊界(幽界)の審判では、自らが裁判官となって、自分で自分を裁くことになりますが、そのときの判決の基準は――「地上で何を行ったのか、世の中のためにどれほど自分を役立てたのか」ということです。まさに地上での「利他的行為」が判決の基準となるのです。地上人生を物質欲や自分中心のエゴに巻き込まれることなく無欲に生きた人は、自分の地上人生がいかに価値あるものであったのかを実感し、感謝の思いに打たれるようになります。
*従来の宗教で言われてきた“閻魔大王による裁き”というような事実はありません。先入観にとらわれた霊能者が、あの世の閻魔による審判があるかのように言うことがありますが、それはすべて自分自身の想念の世界での出来事を事実と錯覚したものです。
屈辱と後悔の中に立たされる傲慢な人間
霊界の審判では、地上時代のあらゆる見せかけが剥がれ落ち、自我が素っ裸にされます。これはある者にとっては、たいへんなショックです。自分の地上時代の間違いが明らかにされるということは、傲慢な人間・利己主義者には大きな苦痛をもたらすようになります。「霊界の審判」は、人によっては屈辱となったり、激しい後悔を引き起こすのです。地上時代には絶対に自分の非を認めなかったひねくれ者も、霊界では必ず間違いを悟るようになり、おのずと罪の重さを自覚するようになります。それにともない必ず、いたたまれないような状態に陥ることになります。
実はこの苦しい状況こそ、自らが犯した摂理に反する行為の結果に他なりません。摂理に違反した生き方や行為が“罪”となって、“罰”をもたらすことになるのです。
本格的な幽界での生活
こうして死後しばらくの間、身体と意識の調整、並びに地上人生の反省というプロセスを経ることになります。それは多くの場合、地上の時間にして数日~数週間(*早い人で3~4日)で完了するようです。なかには自分自身の人生の学びのために、あるいは自分自身の生き方の間違いを悟るために、指導霊にともなわれて自分の葬式を見せられる人間もいます。葬式に参加する人々の様子を見せつけられ、自分の地上人生がいかに間違っていたのかを知るようになるのです。
そして、いよいよ霊界(幽界)での生活が始まることになります。事故などで突然死した者は、霊的にも大きなショックを受けているため、一般の他界者よりも長期の死の眠りが必要となります。霊界の病院などで十分な眠りをとらせ、ゆっくりと霊界の生活に適応させていきます。そうしないと、後で述べる“地縛霊”になることがあるからです。霊界では新しい他界者を地縛化させないために、全力を挙げてケアが行われています。
【2】実際の死の直後の体験談
平均的な人間の死の直後の様子について述べてきました。ここではあの世に旅立った7人の人間から、死の直後の体験談を語ってもらうことにします。それを通して、死の直後の様子を実感を持って理解していただけるようになるものと思います。
ここで取り上げている初めの6つの体験談は『Life after Death』(500に及ぶあの世からの現地報告)からの引用で、最後の1つはアラン・カルデック編『Heaven and Hell』(天国と地獄)からのものです。これによって死後の体験には、おおよその共通性がある一方で、一人一人その内容が異なっていることも理解していただけるものと思います。
1.テッド・バットラー霊の体験談
――1964年2月10日の交霊会より
(テッド・バットラー霊)
私は道路を横切ろうとしていました。すると急に何かが私に当たりました。それはブレーキが効かなくて坂道を転がり落ちてきた車だと思います。私は壁に叩きつけられ気を失いました。苦しかったという記憶はありません。何かが私の方にやってきたのを覚えています。それが、すべてです。その出来事は本当に突然に起こったのです。
グリーン女史(*交霊会の司会者)は確認した。
「あなたは、どのようにしてご自分の状態に気がついたのですか?」
分かりません。私が覚えているのは、大勢の人々が立って何かを見下ろしていたことだけです。私もその人たちと同じように覗き込みました。するとそこには、私と瓜ふたつの男性が倒れていました。最初、私はそれが自分だとは分かりませんでした。「これは全くの偶然の一致だ。彼は私にそっくりだ、まるで双子のようだ」と思いました。
その時、私の妻が涙を流して泣いているのが見えました。彼女は私がすぐそばに立っていることに気がつかないようでした。それから死体は救急車に乗せられました。そして妻と数人の看護婦もその車に乗り込みました。私も一緒に乗り込み、妻の横に座りました。しかし、それでも彼女は私がいることに気がつきませんでした。私は徐々に、「目の前に横たわっているのは自分の死体なのだ」ということが分かり始めました。
私たちは病院に着きました。私の遺体は死体安置所に置かれました。私はそこが好きになれず、すぐ家に戻りました。妻はすでに家に帰っていて、隣のミッチェン婦人が彼女を一生懸命に慰めていました。それから葬式が行われました。もちろん私もその場にいました。私は、「葬式の騒ぎといい葬式の出費といい全く馬鹿げたことだ。私はちゃんとここにいるのに……」と思いました。誰も私に気がつきませんでした。年老いた牧師が立って聖書を読み上げていました。
私は、もし誰か今の私の状態を知ることができるとするなら彼以外にはないだろうと思ったので、彼のそばに立っていました。そして肘で彼の横腹をそっと押し続けましたが、彼は全く気がつきませんでした。彼は葬式をそのまま続けました。
私は数週間、家の周りをうろついていたに違いありません。
2.ビッグス霊の体験談
――1966年の交霊会より
生前、バッキンガム地域に住んでいたビッグスは、田舎の技能者か商人であったと思われます。そのビッグスが死後、地上からあの世への体験を述べています。
(ビッグス霊)
そのとき私はイスに座って、届いたばかりの新聞を読んでいました。私は少し変な感じがして、メガネをはずしテーブルの上に置きました。それからしばらく静かに考えごとをしていました(*実は、彼はこの直後に死んだのである)。
時間が経ちました。そのとき不思議なことが起こりました。イスに座っている私の姿を私自身が見ているのです。私はイスのそばに立って、自分の姿を眺めていました。テーブルの上には新聞とメガネが見えました。「これは妙なことだ、変だ!」と思いました。私は何がなんだか分かりませんでした。
それから私は、誰かがドアをノックしているのに気がつきました。私は相変わらずイスに座っている自分自身を眺めながらそこに立っていました。まるで私がドアを叩く音を聞いているようでした。私は部屋の中にいたにもかかわらず、誰がノックしているのかが見えました。それは私の妹でした。名前はメイと言います。彼女は道路に沿って数軒先に住んでいました。
私はドアを開けようとしましたが、どうしてもできませんでした。「どうしよう、ドアが開けられない!」私はひどく混乱してしまいました。ノックは続きました。私は焦りました。私は夢を見ているんだと思い、「早く目を覚まして、妹にドアを開けてやらなければ……」と考えました。しかし、どうしてもドアを開けることができませんでした。それから彼女が道をあわてて駆けていくのが見えました。彼女は明らかに動転していました。「いったい、これはどうなっているんだ!」と思いました。
数分後、彼女は警察官を連れて戻ってきました。「どうして彼女は警察官など連れてきたのだろう?」突然、私は状況が分かり始めました。もちろん彼女は家の中に入ることはできません。たぶん彼女は私のことを心配して動転したに違いありません。しかし私には、どうすることもできませんでした。私はイスのそばに立っていることしかできませんでした。
こんなことを言うと馬鹿げて聞こえるでしょうが、もし彼女が部屋に入ってイスに座り込んでいる私を見たら、きっと怖がるだろうと思いました。私は必死に目を覚まそうとしましたが、どうしようもありませんでした。「自分はいったい、何をしたらいいのだろう?」と考えました。
そのうち警察官が窓から部屋に入ってきました。私は彼を知っていました。彼はこの管轄区域の警察官で何度も会ったことがあります。彼は部屋に入るなり私の体に刺激を与えました。私が寝ているとでも思ったようです。しかし私の身体は何の反応もしませんでした。彼は私が死んでいることに気がつき、ドアを開けました。もちろん妹は、すぐ部屋に入ってきました。
彼女はかなり動揺していました。彼らはすぐ医者を呼びに行きました。やがて年老いた医者がきましたが、彼には、なすすべがありませんでした。それは当然です。私は自分が死んだことが、はっきりと分かりました。私は妹の動揺を静めようとしましたが、彼女は私のことには全く気がつかないまま、そこにしゃがみ込んでしまいました。医者が部屋から出て行き、数人の男が入ってきて私の死体を運び出そうとしました。彼らは私の死体を、まるでジャガ芋の入った袋か何かのようにドスンと下に置きました。
「彼らの後について行くのはやめよう。私はこのまま家にいよう。今は誰も座っていないイスに座っている方がましだ」と思いました。それで私はイスに座り、いろいろ考えました。やがて妹は家から出て行って、私は一人部屋に残されました。
突然、暖炉と壁が私の目の前から消えました。そのときの状況は、私にはこのようにしか説明できません。そして暖炉と壁があった所に美しい野原や木や川が現れました。そのうち何かが遠くの方から近づいてきました。最初、私はそれが何なのか分かりませんでしたが、やがて人間であることが分かりました。何と! それは母でした。昔、部屋の壁に、母の最初の結婚のときの肖像画が掛けられていましたが、そのとき私の目の前に現れた母は、その肖像画のような若い姿をしていました。彼女は幸せそのもののように満面に笑みを浮かべて私の所へ近づいてきました。
「さあ、行きましょう」と母は言いました。
「あなたは、ここに留まっていてはいけません。ここにいつまでも座っているのはよくありません。誰もあなたには気がつきませんよ。メイ(妹)も気がつきません。さあ、私と一緒に行きましょう」
「私には、何がなんだか分かりません」
「あなたは、すでに死んだのです。ここでいつまでも古いイスに座り込んでいてはいけません」
それから母は、私が今後進むべき道について語り始めました。
地上にいる妹は一見、私の死を嘆いているようですが、本当に悲しんでいるわけではありません。彼女は、私のためにわざわざ何かをしてくれるような人間ではありませんでした。義理で仕方なく私と付き合っていたにすぎません。彼女は悪い人間ではありませんが、多分に享楽的な傾向があります。彼女は、あまりぱっとしない男と暮らしていました。
私は自分の葬式のことを考えました。そして葬式に出たいと思いました。私はこちらの世界にきて以来ずっと、地上のみんなの前に姿を見せるべきだと考えていました。母は笑って言いました。
「いったい、そこへ何をしに行きたいのですか? あなたはすでに地上の人生を終えているのですよ。どうして自分の葬式に行ってみたいなんて思うんでしょう?」
「私はお母さんの考え方は間違っていると思います。自分の葬式を見るのは当然ではないですか?」
「もしどうしてもそうしたいのなら、私たちもあなたと一緒に行きましょう。でも今しばらくは休憩をとった方がいいのです。ベッドで休みましょう」
「ベッドですか!」
「本当のことを言えば、休息は必ずしも必要ではありません。しかし今のあなたには必要です」
私はベッドに行って眠りました。
眠りから覚めたとき、私は田舎の共同墓地に立っていました。その場の状況が私の心を混乱させました。私は生前、保険に入ってお金を払い続けていました。死んだときには、そのお金でまともな墓地に葬られるとばかり思っていました。しかしそのとき、私の遺体は貧困者と同じ共同墓地に埋められようとしていました。もっといい墓に葬られるためにお金を残してきたのにと思うと、私は腹が立ってきました。私が自分の葬式に行ってみたいと思ったのは、実は自分がいい墓に葬られるのを見たかったからなのです。
墓地には妹の他に2人の人間がいました。そのうちの一人は私のよく知っている人間で、学校も一緒でした。もう一人は私の全く知らない人間でした。私の棺は墓穴に降ろされました。そのとき雨が激しく降ってきました。年老いた牧師は急いで儀式を進めました。その急ぎようといったら、列車に遅れまいとして駆け込む乗客のようでした。妹は私のためにいい墓地を買おうとしてくれなかったことが分かりました。
そのこと自体は大したことではないかもしれませんが、私をもっといい墓地に葬ってくれるのが物の道理だと思いました。私はそうした考え方で地上人生を過ごしてきたのです。そのために、わずかばかりのお金を残してきたのです。しかし彼女はそのお金を私の墓のために使いませんでした。私は腹が立ち、「この仕返しは必ずしてやる!」と思いました。
すると母が言いました。
「やがて彼女もここにやってきます。そのときには、あなたはすでにそんな考え方はしなくなっているでしょう。結局……」
「あいつは何というお金のムダ使いをしているんだ!」
「あなたがどんな墓地に葬られようと大したことではありません。大切なことは、あなたが今どこにいるのかということです。あなたの残したわずかなお金は彼女の役に立っているでしょう。あなたはそんな考え方をすべきではありません」
「今、お母さんは私の考え方は間違っているとおっしゃいましたが、でも妹は、私が自分の墓地のためにお金を貯めていたということを知っていたんですよ」
「立派な墓であろうがみすぼらしい墓であろうが、それが何だというのですか? また牧師がそそくさと儀式を済ませたからといって、それがどうだというのですか?」
「じゃあ、いったい何が大切なんですか?」
「あなたは現にこちらの世界にいるのではないですか。それですべてじゃないですか」
「たしかに今、私はここにいます。そしてすべてがうまくいって何の問題もありません」
「ではこれ以上、地上のことについてあれこれ悩むのはやめにしましょう。いずれ牧師も妹もここにくれば、自分の人生を見せつけられるようになるのです」
3.ジョージ・ホプキンス霊の体験談
――1959年4月11日の交霊会より
ジョージ・ホプキンスは、生前スセックス地方に住んでいた農夫でした。その彼が死後、交霊会に現れ、次のように自らの体験談を語っています。
(ホプキンス霊)
おそらく私は、脳溢血か心臓マヒで死んだのだと思います。とにかく私は死にました。最初、辺りがとても明るいことに気がつきました。少し変な感じがしました。私はどこかを歩いていましたが、そのうちに少し眠くなりました。私は眠ったに違いありません。そして目が覚めました。すでに太陽は沈んでいて、そこには私しかいませんでした。そのとき私は、そう思ったのです。
私には何がなんだか分かりませんでした。頭がとても混乱しました。私は自分の体をゆすって目を覚まそうとしました。「これは不思議なことだ、自分は夢を見ているに違いない」と思いました。私は自分が死んだなどとは思いもよりませんでした。
次に私は医者の家に向かって歩いていました。おそらく彼なら私を助けてくれるだろうと考えたのです。そして医者の家に着きました。ドアを叩きましたが、返事がありませんでした。そのとき私は、数人の人々を見かけました。彼らはみんな、私のそばを通り過ぎて行きました。しかし誰も私に気がつかなかったようです。「これは困ったことになった」と思いました。私はしばらくそこにいて人々に働きかけました。
そのうち、慌てふためいて医者の所に駆け込んでくる人が見えました。彼は医者の家に飛び込み、私やそこにいた人たちを押し分けて医者の所に行きました。そして次の瞬間、彼が「ホプキンスが死んだ!」と言っている声が聞こえました。
私は、いったいどうなっているのか分からなくなりました。「私が死んだはずがない。現に私はここにいるのに、どうして私が死んだなんて言うのだろう」それから「これは面白いことだ」と思い始めました。そのうち自分自身の横たわっている姿が見えました。
私たちはそれまで“人間は死ぬと天国か地獄に行く”と言い聞かされてきました。しかし私はそのとき、「ここは天国でもないし地獄でもない」と思いました。それから徐々に、「もしかしたら自分は死んだのだろうか?」と考えるようになりました。
私は次に、彼らが私の遺体を担いで家から運び出すのを見ました。彼らが私の遺体を礼拝堂に置いたので、今度は「私は本当に死んだに違いない」と思いました。そして「今、一番いいのは牧師に会いに行くことだ。彼ならきっと何か知っているはずだ」と思いました。それで私は牧師の家に行って彼を待ちました。
牧師が部屋に入ってイスに座るのが見えました。そのとき私は、周りのすべての物に堅さがないように感じました。もし、そのとき私がイスに座っても、重さ(重量感)を感じることはできなかったでしょう。年老いた別の牧師が入ってきて私のいる所をそのまま通り過ぎ、自分の机に向かって歩いて行きました。そして手紙を書き始めました。私は彼に語りかけました。しかし彼は何も気がつきませんでした。「彼も他の人たちと同じだ。彼なら何か知っているに違いない、と思ってきたのに……」それで私は彼の肩を叩いてみました。彼は何かがそこにいると感じたかのように、一度振り返りました。さらに続けて肩を叩きました。しかし彼はもう何も気がつきませんでした。
それから彼が寒さに震えているのが見えました。しかしその朝はとても暖かで、彼がどうして寒さを感じているのか分かりませんでした(*ホプキンスには肉体がないため寒さや暑さを感じないのである。そのことに本人は気がついていない)。
とにかく彼は、私がそばにいることに全く気がつきませんでした。それでそこを出てどこかへ行こうと思いました。
――ジョージ・ホプキンスは牧師の家を出て辺りをうろついていた。それは牧師が彼のことに気がつかなかったためである。数日間、地上をうろつき、自分の葬式にも出たのである。以下はその後のホプキンスの話である。
(ホプキンス霊)
彼らは私の遺体を古い教会墓地へ運んで、そこに置きました。そのとき突然、すでに死んでいる妻のポルのことが頭に浮かびました。私は、「もし私が死んでいるのなら妻と一緒にいられるはずだ。彼女はどこにいるのだろうか?」と思いました。次に私は、彼らが私の遺体を墓穴に入れるのを立って眺めていました。儀式が終わってから、私は彼らの後に付いて行きました。
すると何と! 前方から妻が私の方に近づいてきたのです。しかも驚いたことに妻は、私が彼女に初めて出会った頃の若い姿でした。彼女は美しく見えました。本当に美しかったです。そして彼女のそばには、17、8歳で死んだ私の弟も一緒にいました。彼は金髪の美少年でした。
2人は笑いながら私の方にやってきました。妻と弟は私を適当になごませてくれ、ここへくるのが遅れて申し訳なかったと言いました。そして、「私たちはあなたの健康があまりすぐれないことを知っていました。しかしまさか、こんなに急にこちらの世界にいらっしゃるとは思っていませんでした。あなたが亡くなったという連絡を受けましたのに、早くくることができなくてすみませんでした」と言いました。
私はそれを聞いて少し奇妙に感じました。
4.テリー・スミス霊の体験談
――1966年6月16日の交霊会より
テリー・スミスは生前、水兵として英国巡洋艦フッドに乗船していました。その巡洋艦がドイツ戦艦ビスマルクの砲弾を受けて北大西洋の冷たい海中に沈没し、そのとき彼は死亡しました。その彼が交霊会に現れ、死後、彼が受けた霊たちからの歓迎の様子を次のように語っています。
(テリー・スミス霊)
先程、私が初めて通りを歩いたときは、人は誰も見あたらず、まるで死の町のようでした。すべてはきれいに片付けられ、さっきまでそこにいた人々が午後の休憩でどこかへ行ってしまったようでした。ところが今度は先程とはうって変わって、私は大勢の人々に取り囲まれました。
大部分の人々は若かったですが、その中の一部の人々は年配に見えました。その人たちは実際は年老いていたわけではありません。しかし彼らには年寄り臭さを感じさせるような何らかの原因があったため、そのように見えていたのです。私はこのことについて説明することはできません。とにかく私を取り囲んだ人々は次々に握手を求め、私の名前を呼んでくれました。
「これは不思議だ。みんな私の名前を知っている。みんな私をテリーと呼んでくれている。まるで彼らはずっと昔から私を知っているようだ……」
後になって分かったことですが、地上からの新参者がここにきたときには、例外なくこうした歓迎を受けるということです。これもまた後になって知ったことですが、ここは特別な共同体で、ここでの仕事は地上からの新参者を助けたり導いたりすることだそうです。戦争になると多くの若者が、次々とこちらの世界に送り込まれてきます。
とにかくそこにいた人たちは私を取り囲んで心から歓迎してくれました。私は本当に昔からの友人の中にいるように感じました。考えてみればこれは異常なことです。何しろ私は地上の人々が“死”と考える場所にいるのですから……
「私が最初ここにきたばかりのときには誰も会いにきてくれなかったのに、どうして今はこんなにみんな出てきて歓迎してくれるのですか?」彼女に聞いてみました。
「それはあなたに対する配慮からです」
「どんな配慮なのですか?」
「それはとても大切なことです。あなたが直接、私の所にくることが必要だったからなのです。私があなたをお世話するために選ばれた人間であることを、あなたに知ってもらうためだったのです。もちろんみんな、あなたがこちらの世界にきたことは知っていました。あなたが家々を通り過ぎたとき誰もいないように見えたでしょうが、彼らは、あなたに対する愛の思いからわざと姿を見せなかったのです。あなたがこちらの世界に慣れ始め、私の手助けを受けながら少しずつこちらの世界について理解していくことを、みんな知っていました。そしてあなたに準備態勢ができたので姿を見せたのです。
もし彼らが初めからあなたを迎えていたら、あなたの準備にもっと時間がかかったでしょう。今あなたはこちらの世界に落ち着き始めました。あなたは、これから多くの人たちに会うことができるでしょう」
5.アルフレッド・ヒギンス霊の体験談
――1963年10月14日の交霊会より
アルフレッド・ヒギンスは生前、英国ブライトンの画家で装飾家でした。彼は仕事中にハシゴから落ちて意識を失い、病院で死亡しました。数年後、交霊会に現れました。ここでは彼が、指導霊に付き添われて、地上にいる家族を訪問したときの様子を見ます。
(ヒギンス霊)
するとその瞬間、周りのすべてに変化が生じ、辺りのものが徐々に消え始めました。それは眠りの中に入っていくような感じでした。とは言っても眠ってしまうのとは違う感じでした。私は自分の思考力や理解力が失われたようになり、無意識の状態になりました。
次に気がついたとき、私は自分の家の台所に立って妻を見ていました。彼女はトマトの皮をむきながら洗い場にいました。「彼女は私がここにいることを知っているのだろうか?」と思い、彼女の名前を呼んでみました。彼女は何も答えませんでした。私の声は聞こえなかったようです。私の友人(*付き添っている霊界の指導霊)は言いました。
「彼女にはあなたの声は聞こえませんよ」
「何をしたらいいのですか?」
「今、あなたができることは何もありません。しかしそのうち彼女は、あなたがここにいることに気がつくかもしれません。しばらく待ってみましょう」
それから彼は言いました。「彼女に意識を集中して、強く念じてください。できるだけ強く。そして彼女の名前を呼んで!」私は言われたとおりにしました。すると突然、彼女は立ち上がり、ナイフとむきかけのトマトを床に落としました。そして辺りを見回しました。明らかに彼女は当惑しているようでした。私は彼女を驚かせて少々申し訳ないような気がしました。彼女は台所から飛び出し、ドアを開けて外を眺めました。それからしゃがみ込んで、テーブルに顔を伏せ泣き始めました。私はそれを見て恐ろしくなってしまいました。「心配しなくてもいいです」彼は言いました。
「彼女には霊感があるのです。彼女は心の中で、あなたが近くにいることを感じているのです。しかし、それがはっきりとは分からないのです」
「でも、もしこんなふうに彼女を惨めにさせるのなら、いつまでも私はここにいない方がいいです」
「そう悩まないでください。こうしたことはよくあることなのです。地上の人間は分かっていないのです。彼らは死後の世界について聞いたことがないのです。死者と交信できるなどということは教えられたことがないのです。しかし彼女には霊感があります。そして感じるのです。意識の深いところで、内面の深いところで知っているのです」
「私が彼女にしてあげられることはないのですか?」
「何もありません。今はまだその時期ではありません。待たなければなりません。おそらく後になれば何かしてあげられるようになるでしょう」
「今できることはないのですか?」
「ありません。今は元の世界へ戻るのが一番いいのです」
6.ルパート・ブルーク霊の体験談
――1957年の交霊会より
ルパート・ブルークは、1915年の初め頃、エドワード地方の若き叙情詩人でした。彼のソネットが英国中の人々の心を虜にしました。その彼は、第一次大戦に従軍し、エーゲ海の島で死亡しました。
(ブルーク霊)
私は、第一次世界大戦の最中に死んでこちらにきました。それは全く突然の出来事でした。しばらく私は、以前と同じ肉体を持っていると思っていました。こちらの世界で身にまとう身体は、外形が地上時代の肉体と全く同じなのです。私はそのことに全然、気がつきませんでした。最初、私は自分が死んだのだということさえ理解できなかったのです。
こちらの世界のすべてのものは、ある意味で地上世界とそっくり同じなのです。しかし、ここでの身体は地上のものとは全く違います。重さというものがまるでないのです。ですから自分でも驚くほど軽いのです。私は自分自身をつねってみましたが、何も痛みを感じないのでびっくりしました。私はひどく不安になりました。それから地上の人間には私が見えないのだということが分かって、2、3回ショックを受けました。そして私は考えました。
「身体をつねっても何も感じないのはどうしてなのだろうか? 地上にいたときはお互いの身体は見えていたのに、今は見えなくなってしまっている。なぜなのだろうか? それは今、自分が地上の人たちとは異なるバイブレーションの状態にいるからに違いない。バイブレーションが違うために私が見えないのだ」と考えました。私の方からは、地上の人々を見ることができました。しかし彼らは、私を見ることはできません。それは本当に不思議なことでした。
そういえば、川べりに座って自分の身体をまじまじと眺めたことを思い出します。何しろ私の身体の影が見当たらないのです。私はそのときの状況が全く理解できませんでした。それから知人の所へ行って、彼らに、自分はまだ元気で生きていることを知らせようとしました。しかし彼らは、私がそこにいることに気がつきませんでした。
私は、彼らが私を見ることができない理由がやっと分かりました。「もし身体に影がないとすれば、地上の人たちには私の姿は見えないに違いない」ということに気がつきました。私の身体が地上人と同じバイブレーションではなく、また同じ物質ではないということが分かったのです。身体の外見は地上にいたときと同じですが、地上側の観点からすれば、私が実在しているとは到底言えないのです。私はスピリチュアル・ボディー(霊体)と呼ばれる身体に宿った存在なのです。
7.サミュエル・フィリップ霊の体験談
――1863年のパリでの交霊会より
仏人サミュエル・フィリップは、生前から立派なスピリチュアリストとして奉仕と信仰と犠牲の人生を歩んできました。その人間性と生き方は、まさにスピリチュアリストの鏡とも言うべきものでした。1862年12月、50歳で世を去りました。
その彼が、交霊会で死後の世界について詳しく述べています。地上人生を優れたスピリチュアリストとして歩んだ霊性の優れた人間が、死の直後、どのような体験をするのかを明らかにしてくれています。
(フィリップ霊)
死は何の苦痛も動揺もなく、まるで眠りのように訪れました。私には、死後の世界への恐れは全くありませんでしたし、地上人生に何の未練もありませんでした。そのお蔭で私は、地上生活で抱えてきた問題に悩まされることはもうなかったのです。肉体と霊体との分離は、何の努力も必要とせず、痛みもなく、無意識のうちに行われました。
私には、この眠りがどのくらい続いたのか分かりませんでしたが、それはほんのわずかな時間でした。私は、これまで味わったことのない喜びに満たされて、穏やかに目覚めました。もはや痛みを感じることもなく、喜びに満ちていました。私は起き上がって歩こうとしましたが、なぜか力が入らず、動くことができません。どうして動けないのか分からないまま、心地よい状態の中で起き上がれずにいましたが、私が地上を離れたということは間違いのない事実でした。自分の身に起こった出来事のすべてが夢のようでした。
部屋の中で、私の妻と何人かの友人が跪いてすすり泣いているのが見えました。彼らは間違いなく、「私が死んだ」と思っているようでした。私は彼らに、「死んではいない」と伝えたかったのですが、なぜか一言も言葉が出てきませんでした。
そろそろ、私のこの夢のような状態も終わろうとしていました。ずっと昔に亡くなった私の愛する者たちや、一目見ただけでは誰だか分からない人たちなど、さまざまな人々が私を取り囲んでいました。私を見守り、目覚めるのを待っているのが分かりました。
私は、意識を失ったり取り戻したり、覚醒してはまた眠りに引き戻されるといったことを交互に繰り返しました。そして私の(霊的)意識は、だんだんはっきりしてきました。それまで霧を通して見ていたかのようにぼんやりしていた光が、輝きを増してきました。意識を取り戻し始めた私は、やがて「もはや自分は地上世界にはいない」ということを理解しました。もしスピリティズム(スピリチュアリズム)を知らなかったなら、私のこうした意識の混濁状態は、間違いなくもっと長いあいだ続いていたことでしょう。
私の遺骸は、まだ埋葬されていませんでした。私は自分の肉体を哀れむように眺めていました。そして、そこから解放されたことを心から喜びました。自由になれたことが、本当に嬉しかったのです。私は、あたかも悪臭を放つひどい環境から抜け出た人のように、楽に呼吸をすることができました。筆舌に尽くしがたいほどの幸福感が私の心を占め、全身に広がっていきました。
私は、かつて愛した人が今ここにいてくれるということに、喜びでいっぱいになりました。彼らを見ても、少しも驚きませんでした。全く自然に感じられたからです。ただ、長い旅の後に彼らに再会したように感じたのです。
ひとつとても驚いたのは、言葉を発しなくても意思の疎通ができるということでした。目を見交わすだけですぐに相手に思いが伝わり、互いの考えていることが理解できるのです。
こうしたことがあったにもかかわらず、私はまだ地上的な思いから完全に解放されたわけではありませんでした。地上で苦しんだあらゆる記憶が、ことあるごとに思い出されたからです。しかし私は自分が置かれている状況の中で、幸せをかみしめ心の底から感謝することができました。
私は地上で多くの肉体的苦しみを体験しましたが、精神的苦痛はそれ以上のものでした。私は多くの人々から悪意や憎悪を向けられ、そのためにしばしば耐えがたい苦しみにとらわれることもありました。人間というものは、こうしたとても苦しい思いをすると、ずっとその苦しみへの不安から逃れられなくなってしまうものなのです。
私の心に強く刻まれた苦しみや不安は、なかなか消え去るものではなく、時として「本当に解放されたのだろうか?」と自分に問いかけました。まだ人々が私を罵倒する不愉快な声が聞こえるような気がしたのです。私は、地上にいたときに味わった苦しみが再びこの身に起こるのではないかと恐れて、我にもなく震えてしまいました。自分の体に触れてみて、夢を見ているのではないことを何度も確かめました。
そしてついに地上生活の困難から救い出されたのだという確信を得たとき、私は大きな重荷を下ろしたような気がしました。「これは事実なんだ、一生私を苦しめ続けた心配ごとからようやく救われたのだ!」と叫びました。そして、神に心から感謝しました。私はまるで、突然莫大な遺産を相続した貧乏人のような気分になりました。貧しい暮ししか知らない人間は大金持になったにもかかわらず、それが実感できなくて、しばらくの間は貧乏暮しの不安におびえるものです。
ああ、もし人間が死後の世界の真実を理解できたなら、どれほど素晴らしいことでしょう。そうすれば逆境にあっても、死後の世界への確信から、強さと勇気を持つことができるのです。神が、摂理に従順であった子供(人間)のために用意してくださった幸福を知れば、地上で生活する間はどんな苦しみでも我慢できるものです。死後の世界について何も知らなかった人も、そこでの喜びが分かれば、地上で心を動かされてきた楽しみなど、いかに価値のないものであったかを悟るようになるのです。
【3】生前に霊的真理を知っておくことの重要性
1.霊的真理を知っていた人のケース
生前から死後の世界のあることを信じ、霊的世界に対する知識を持っていたような人の場合は、シルバーコードが切れて死の眠りから目覚めると、先に他界していた人々の出迎えを受けることになります。彼らは歓声をあげて、本人の霊界入りを喜んでくれます。眠りからの覚醒と同時に霊的意識が蘇り、霊的視野が開かれるため、待ち受けていた霊界の人々の姿をすぐに認識できるのです。
地上時代に霊的知識を身につけておくことが、いかに大切であるかということが分かります。「霊的真理」を学んでいた人は、死後は必ず、よかったと思うようになります。
2.平均的他界者は、霊界の人々にとっては“問題児”
これまで主として平均的な人間の死後のプロセスを見てきましたが、実はこの平均的な人間とは、霊界に対する最低の知識も、基本的な霊的真理も知らない人のことなのです。霊界から見たとき、そうした平均的な人間(*大半の人々)は、霊的存在としての常識的な内容さえ持っていないということです。すなわち彼らは、「霊的な問題児である」ということなのです。
こうした人々は生前、死後の世界に対する準備が全くできていませんでした。そのため霊界に行ってから、霊的世界に対する適応期間・準備期間としての休息が必要となるのです。彼らのために霊界の人々は、たいへんな労力を費やさなければなりません。特に戦争などの異常事態で死んだような場合には、さらに多くの手間や面倒がかかることになります。肉体の死があまりにも急に訪れたために、いつまでも自分が死んだことを理解できないのです。人によっては「死の自覚」を持つまでに長い期間を要することになります。
霊的に無知な人々は、地上では平均的な人間であっても、霊界から見れば最低のことさえ身につけていない人間ということなのです。彼らは、本来は地上で学び準備しておくべきことを、霊界に入ってゼロからやり直さなければなりません。
3.霊的真理を知っておくことの重要性
シルバーバーチが――「こうしている間でも、地上から何百万、何千万という人間がこちらへ送られてきますが、そのほとんどが死後への準備が何もできていないのです。みんな当惑し、混乱し、茫然自失の状態です。それで我々が、いろいろと手を焼くことになります。本当はそちらで霊的教育を始める方が、はるかに面倒が少なくて済むのです」
(『古代霊シルバーバーチ 最後の啓示』(ハート出版)p.79)と嘆いていますが、ここで言及しているのは平均的な他界者に対してのことなのです。
地上で霊的真理になじみ、霊界に対する知識を持っている人は、霊界に入ってからの適応時間は短くなり、霊的進化の道に入っていくまでのプロセスは短縮されます。「地上で霊的真理を学ぶ」ということは、本当に大切なことなのです。その点で“スピリチュアリスト”は、霊界入りのプロセスを最もスムーズに歩むことができる可能性を持っています。死の目覚めと同時に、迎えにきてくれた多くの人々と歓喜の対面をすることができ、その後の調整期間も短いのが普通です。