スピリチュアリズムのさらなる発展期を迎えて
――実践的スピリチュアリズム時代の幕開け
ニューズレター第24号
「スピリチュアリズムとは何?」
――こんな質問に私達は、どのように答えたらいいのでしょうか。
「スピリチュアリズムとは一体何ですか?」――皆さんはこれまで、突然こんな質問を受けたことはなかったでしょうか。『シルバーバーチの霊訓』を愛読している私達は、スピリチュアリズムについてよく知っているはずなのですが、いざそれを他人に説明しようとすると、とても難しいことに気がつきます。スピリチュアリズムとは何かという当たり前の質問に答えることができないのです。「自分は本当にスピリチュアリズムについて知っているのだろうか」「これまで知っているように思っていたけれども、それは勝手な思い込みではなかったのか」とショックを受けるかも知れません。実は多くのスピリチュアリストが、これと同じような体験をしているのです。
今回はまず、「スピリチュアリズムとは何か」について大局的な観点から確認することにしましょう。スピリチュアリズムの主役である霊界人と、霊界からの働きかけを受ける立場にある地上人では、同じスピリチュアリズムといっても、それに対する観点が全く違ったものになります。霊界サイドからと地上サイドからとでは、スピリチュアリズムについての見方が異なっているのです。
それぞれの側から見たスピリチュアリズムの相違点を比較しておくことは、スピリチュアリズムを正しく理解するうえでぜひとも必要です。初めに霊界サイドから見たスピリチュアリズムとは何か、次に地上サイドから見たスピリチュアリズムとは何かについて学んでいくことにしましょう。
1.霊界から見たスピリチュアリズムとは
霊界人にとっての“スピリチュアリズムの定義”
スピリチュアリズムという大プロジェクトを立案し、それを推進していく霊界の高級霊の立場からすると、スピリチュアリズムは次のように定義されます。
「イエスを中心とする霊界の高級霊が、地上人を救済するために展開している霊界あげての歴史上最大のプロジェクト」――このスピリチュアリズムの定義の内容を、もう少し詳しく見ていくことにしましょう。
霊界から見れば、地上世界は“暗黒の地獄”
霊界から見ると、私達が住んでいる地球(地上世界)は、霊的光が全くといってよいほど存在しない“暗黒地獄”です。地球は物質の闇によって覆われ、地球人類は「物欲中心主義」と、そこから派生する「利己主義(自分第一主義)」に支配されています。霊界人からすれば、大半の地上人は霊的存在としての最低ラインにさえ至っていないということなのです。
地球という物質世界は、死後の生活のための準備をする場所なのですが、大部分の地上人はその一番肝心なことを忘れ、地上人生を無駄に費やしています。死ねばすべてが終わりになるのだから、今のうちに思う存分快楽を味わおう、そのためにお金を儲けて財産を蓄えようと考えます。そして霊界に行ってから、たいへんな後悔をしたり、ゼロからやり直さなければならなくなっています。
霊界の存在さえ知らない地上人には、今自分が生活している環境が異常な状況にあることが理解できません。霊との係わりのない日常生活をごく当たり前のように考えています。置かれている生活環境に不満を持たないようにと自分に言い聞かせたり、何ひとつ希望を見い出せないような絶望の中で、毎日を過ごしている人もいます。自分が地獄にいることが実感できない地上人には、「なぜ救いを求めなければならないか?」が全く理解できないのです。
地上人の苦しみを見過ごすことができない霊界人
しかし霊界という大きな世界から地上を見ている霊界人においては、たとえ地上人が救いの必要性を感じないとしても、それを黙って見過ごすことはできません。地上地獄の生活を送った後に待ち受けている死後の世界での後悔と苦しみが、いかに悲惨なものであるかを知っているからです。後輩である地上人の苦しみを“自業自得”と言って無視することはできません。
霊界にいる多くの霊達は、自分達もかつて同じように地球上で人生を歩み、死後、自らの無知が招いた苦しい体験を味わっています。そのため同様の後悔・苦しみを地上人に味わわせたくないと切望するのです。そして同じ地球の出身者として、地上人の救済に乗り出さざるを得ないのです。今は「救済の必要性など感じない!」と強がりを言っていても、死後は必ず苦しみに直面することが分かる以上、何とか救い出さなければならないと思うのです。“スピリチュアリズム”は、そうした霊界人の真実の利他愛から出発した救済活動であり、最も純粋なボランティア活動なのです。
霊界人は、どのように地上人を救おうとするのか
では霊界人は、どのようにして地上人を救済しようとするのでしょうか。結論を言えば――「霊的真理を地上にもたらして、地上人に霊的人生を歩ませ、霊的成長を促すことによって」ということです。霊的成長のための指針であり手引書となる「霊的真理」を地上人に示すことによって“救い”をもたらそうとするのです。
さて、その霊的真理ですが、それは次のような「霊的事実」を明らかにするものでなければなりません。
- ①人間は霊的存在である(*大半の地上人は、人間を単なる肉体的存在・物質的存在と考えている。)
- ②人間は霊的存在としての身体構造を持ち、死後は霊として生き続ける
- ③人間は神の分霊を宿している神の子供であり、他人は神のもとにあって同じ霊的兄弟姉妹である
- ④人間は神の創造した摂理と一致した生き方をしたときに、霊的成長がなされる
- ⑤神の摂理に一致するための努力の歩みが、本来の宗教である
- ⑥人間は他人に奉仕することによって神に奉仕し、神を愛することになる
- ⑦霊的成長こそが人間にとって最大の宝であり、それが本当の救いにつながる
霊的真理は、どのようにして地上にもたらされるのか
――霊的真理をもたらす方法
では、そうした霊的真理は、どのようにして地上人にもたらされるのでしょうか。これについては、スピリチュアリズムの真理を手にした方なら誰もが知っています。言うまでもなくその答えは、「霊界通信によって」ということです。
霊界通信とは、世間一般に知られているいわゆる“霊媒現象”と同じものです。あの世にいる霊が、地上の霊媒を用いてさまざまな通信を送ってくる現象のことです。ただし大半の霊媒現象は、地上近くの霊界(幽界)にたむろしている“低級霊”によって引き起こされます。こうした低級霊からの通信は、地上人に利益をもたらすどころか、反対に害をもたらすようになります。
したがって一口に霊界通信といっても、それには必ず“優れた”という条件が付くことになります。「優れた霊界通信」でなければ価値はありません。では“優れた”とは具体的に何かと言えば――それは「通信を送る霊が高級霊であること」と、「通信を受ける霊媒の能力と人格が優秀であること」の2つを意味します。
スピリチュアリズムでは、使命を持った高級霊や善霊が通信を送ります。これによって地上人が霊的人生を歩むために必要とされる知識と教訓が伝えられます。こうした純粋な霊界通信は、霊媒現象の中でごく一握りのものに限られます。言い換えれば――「巷に存在する99%以上の霊界通信は無価値なもの」ということなのです。
優れた霊界通信の中でも、さらに際立って優れたものが『シルバーバーチの霊訓』やモーゼスの『霊訓』、アラン・カルデックの『霊の書』です。これらはまさに「世界三大霊訓」と呼ぶにふさわしい内容を持っています。
地上人を霊的真理に出会わせるための、霊界からの導き
霊界の霊達は、優れた霊界通信を通じて霊的真理を地上にもたらすと同時に、霊的真理の普及にマイナスとなる地上的な障害を取り除いたり、真理が浸透していくための受け入れ態勢づくりを進めてきました。スピリチュアリズムの初期に“心霊現象”が頻発したのは、その一環としての動きでした。現在も霊的真理を普及するための環境づくりとして、さまざまな分野への働きかけが総力を挙げて行われています。
一方、これとは別に、霊界からは地上人一人一人に向けても強力な働きかけがなされています。時期のきた地上人を霊的真理と出会わせるための個別の導きがなされているのです。その役目は主として、地上人それぞれに付いている「守護霊」が担当することになります。霊界から見れば、地上人の霊的レベル(霊性)や霊的状態は一目瞭然です。ましてや生まれてからずっと地上人を守り導いてきた守護霊には、なおのこと手に取るように分かるのです。
守護霊にとって一番の関心事は、自分の導く地上人が、スピリチュアリズムの霊的真理を受け入れられる時期に差しかかっているかどうかです。すべての関心は、その一点に向けられています。なぜなら真理との出会いには、地上人生における最も重要な意義があるからです。最高に価値ある地上人生を送ることに通じるからです。
したがって、もし自分の導く地上人が霊的真理を受け入れられる時期に差しかかるとするなら、守護霊はそのチャンスを見逃さず、真理と出会わせるために可能なかぎりの働きかけを開始することになります。今、こうしてニューズレターを読んでくださっている皆さん方も、間違いなく霊界からの導きによって、スピリチュアリズムにたどり着くことができたのです。
守護霊を中心とする霊界からの働きかけを通じて、「時期のきた人」に霊的真理が届けられます。そして真理を手にした地上人が一人また一人と増えることによって、スピリチュアリズムの底辺は、時間とともに確実に拡大していくことになるのです。
真理と出会った後は、すべて地上人の責任
霊界の人々が地上人の救済に直接係わることができるのは、地上人を霊的真理がある場所に導くところまでです。それから先のことは、すべて地上人自身に任せられることになります。霊界人は、地上人の自由意志の領域に介入することは許されません。したがって真理を手にした後の地上人に対しては、本人が自らの責任において成長していく姿を見守っていくしかありません。何度も何度もハラハラするような局面に立たされながら、地上人を陰から導いていくことになるのです。
次で述べますが、地上人が霊的真理を手にしても、それだけで“魂の救い”に直接結び付くわけではありません。霊的真理は、どこまでも霊的成長を促すための手引書・道しるべに過ぎないのです。言ってみれば、どのようにしたら地上人が救われるようになるかを記した説明書なのです。したがって地上人が救われるためには、自ら手引書の内容を実行し、自分自身の魂を成長させなければなりません。それができないとするなら、真理に出会わせるまでの霊界人の導きの努力は、すべて無駄になってしまいます。時間をかけて準備した救いの道は、目的地を直前にして、すべて水泡に帰すことになってしまうのです。
最後は地上人が――「自らの責任において、自らの魂を救う」というプロセスを踏まなければなりません。最終的には霊的真理を手にした地上人に、すべての責任が負わせられることになるのです。
大部分の「他力救済」と、ほんのわずかな「自力救済」
スピリチュアリズムは地上人に対する救済プロジェクトですが、それは大きくは「霊界でのプロセス」と「地上世界でのプロセス」に分けられます。
霊界において、地上人類救済のプロジェクトが立案され、そのもとで用意周到な準備が進められてきました。真理普及の準備のために、何世紀もの長い期間が費やされたのです。そしていよいよ地上に向けての働きかけが開始され、真理が地上にもたらされるようになりました。霊的真理が地上に降ろされてからは、地上人を真理と出会わせるための導きが行われることになります。そして時期のきた地上人に、霊的真理という救いの手引書が手渡されることになるのです。以上が霊界サイドでの救済プロセスです。
その後の救済プロセスは、霊的真理を手にした地上人本人に移行します。地上人が真理を実践することによって霊的成長をなし、最終的にその救済が実現することになるのです。
宗教ではよく、「他力救済」と「自力救済」といった救済論のテーマが問題となります。スピリチュアリズムを“救済論”の観点から見るならば――救いの大部分は「他力」、そしてわずかな部分が「自力」ということになります。地上人が救いに至るための大半(*おそらく98%以上)は、霊界人によって準備されます。つまり全プロセスのほとんどが他力救済領域であり、ほんのわずかな部分だけが地上人自身の努力による自力救済領域ということになります。
地上人が自分の救いのために果たす責任部分は、全体のたった数パーセントに過ぎません。しかし、それを当事者である地上人サイドから見ると、自己責任領域が100パーセントということになるのです。もし、その責任を果たせないとするなら、それまでのすべての救済プロセスが無駄になってしまうからです。したがって地上人に焦点を合わせて見るなら“スピリチュアリズム”は――「地上人が、自分で自分を救う自力救済主義」ということになります。
以上の内容をまとめると、次のようになります。
2.地上サイドから見たスピリチュアリズムとは
地上サイドから見た“スピリチュアリズムの定義”
霊界人からすればスピリチュアリズムとは、地上人類に対する霊界主導の救済プロジェクトということになります。とはいっても最終的な救済まで、霊界人が責任を持つのではありません。今述べたように霊界サイドからの救済活動は、霊的成長(救済)のための手引書・道しるべとなる真理を地上にもたらし、時期のきた地上人に手渡すところまでなのです。
一方、地上サイドから見たときスピリチュアリズムは、霊界から示された霊的真理を手にするところから出発します。時期のきた地上人がそれを受け入れて実行に移し、霊的成長をなすことによって最終的に自らを救うことになります。したがって地上サイドから見たスピリチュアリズムとは、次のように言うことができます。
「霊界から示された霊的真理を受け入れて正しく理解し、それを実践して自分自身の霊的成長をなし、自分の魂を救うこと」――これが地上サイドから見たスピリチュアリズムの定義です。
スピリチュアリズムは、心霊現象の研究や交霊会での霊との交わりではない
世間ではよくスピリチュアリズムを、心霊現象を研究したり、交霊会を開いてあの世の霊と交流する活動であると考えています。しかし、それはスピリチュアリズムの本質から全く懸け離れた認識です。
スピリチュアリズムの歴史の初期には、確かに精力的に心霊研究が行われ、多くの交霊会が催されましたが、それらはすべて地上に霊的真理をもたらすための準備だったのです。ところがこの下準備のプロセスが、スピリチュアリズムそのものと勘違いされることになってしまいました。
スピリチュアリズムの本質、あるいはスピリチュアリズムが目的とするところは、心霊現象でもないし、あの世との交わりでもありません。地上人に霊的真理を教え、霊的成長を促すことこそが、大プロジェクトの一番の目的なのです。
“心霊現象演出”の2つの目的
スピリチュアリズムが地上に展開を始めた初期には、霊界によって驚嘆するような派手な心霊現象が盛んに引き起こされました。その目的は、地上人類(*特に当時の最先進国であった欧米諸国の人々)に霊魂観の正しさを証明することでした。「死後の世界である霊界が現実に存在すること」「人間は死後も霊として霊界で生き続けること」「霊界にいる霊と地上人との間には交流が可能であること」――この3つの基本的な霊的事実(霊魂観)を人々に示すことが、霊界サイドが心霊現象を起こした目的だったのです。
心霊現象にはもう1つの目的がありました。それは“霊界通信”という霊媒現象に人々の関心を向けさせ、その後の高級霊からの通信を受け入れやすくする準備をすることでした。高級霊からの教訓を受け入れる環境を整えることだったのです。
こうした目的のために、派手な物理的心霊現象が霊界から計画的に演出されました。スピリチュアリズムの第一歩は、“心霊現象”から踏み出されることになりました。それは、すべて霊的真理を地上にもたらすための準備だったのです。
現代における“心霊現象の意義”
――スピリチュアリズムの入り口にいる人だけに必要
地上世界に住んでいる人々の“霊性”は、一人一人異なっています。高い霊性に恵まれた人がいる一方で、霊的世界には全く関心がなく、ひたすら物質的利益だけを追い求めているような人もいます。また死によってすべてが消滅するという唯物主義には満足できないものの、だからといって従来の宗教の来世観にも納得できないという人もいます。死後の世界があるとするなら、その証拠を見せて欲しいと切望している人もいます。
心霊現象は、死後の世界に対する証拠を求める人間のために必要とされるものです。言い換えれば――「スピリチュアリズムのほんの入り口で戸惑っている人々を対象としているもの」なのです。すでに霊界の存在を受け入れている人や、人間は死によって消滅するものでないことを確信している人にとっては、心霊現象はもはや必要のないものであるということなのです。
スピリチュアリズムでは心霊現象を、霊的真理に至る前段階(準備段階)と位置付けしています。したがって心霊現象という低いものへの関心は、いつまでも持ち続けていてはいけないということになります。繰り返しますが、心霊現象はスピリチュアリズムの入り口レベルにいる人にとってのみ必要性があるということなのです。こうしてみると、スピリチュアリズムを心霊現象の研究と考えることは全く的外れであることが明らかになります。
「スピリチュアリズムにおけるさまざまな現象は、それぞれに意義があります。しかし、それはしょせんは注意をひくためのオモチャにすぎません。いつまでもオモチャで遊んでいてはいけません。幼児から大人へと成長しなければなりません。成長すれば、よろこばせ、興味をひくために与えられたオモチャは要らなくなるはずです。」
「人間に霊的摂理を教えるためにラップなどの物理的心霊現象から始めなくてはならなくなったことを残念に思います。」
交霊会とスピリチュアリズム
霊媒現象も、心霊現象の一つである以上、いつまでも関心を持ち続けるようなものではありません。あの世にいる知人と交わりたいという気持は理解できますが、霊的真理を手にした者が、そうしたことにのみとらわれ続けていてはなりません。交霊会が必要なのは、死後の世界があることを知らずに、愛する人との死別を嘆き悲しんでいる人にとってなのです。
「死後の存続という知識を手にしたあともなお、いつまでも私的な交信の範囲にとどまっているようでは、これは重大な利己主義の罪を犯すことになります。」
もっとも、そのような人が交霊会に参加してあの世にいる霊と対談しても、ただちに死後の世界を信じるようになるとは限りません。本来は死後の世界が存在する証拠を示すことが交霊会の目的であっても、必ずしもその通りの結果がもたらされることにはならないのです。状況によっては、むしろ反対に不信感を募らせるようなことになるかも知れません。これまでニューズレターでもたびたび述べてきましたが、交霊会に出てくる霊は“イタズラ霊”が圧倒的に多いからです。
本当は一定の霊的レベルに至った人でないかぎり、霊的現象を目の前に示されても、霊界の存在を心の底から信じることはできないのです。シルバーバーチは――「生命が死後にも存続することの証拠を手にしていながら、魂そのものは霊性に目覚めていない人がいるものです」
(『シルバーバーチは語る』(スピリチュアリズム普及会)p.267)と言っています。
その反対に、時期がきて霊的真理を受け入れられる段階に至った人の場合は、直接、心霊現象を体験したり交霊会に参加しなくても、初めから霊や霊界の存在を抵抗なく受け入れることができます。こうした霊性の開かれた人々は、19~20世紀初めにかけて高級霊が計画的に演出した心霊現象の事実を振り返るだけで、死後の世界の存在に対する確信を持つことができるのです。そして心霊現象や交霊会ではなく、もっと次元の高い対象――「霊的真理」や「生き方」に関心を向けるようになります。
再度述べますが、スピリチュアリズムの本質は、交霊会を開いて霊と交信することではありません。人間が死後、霊界で霊として存在し続けることはスピリチュアリズムでは常識です。いつまでも心霊現象や交霊会に関心を持ち続けることは間違っています。霊にお伺いを立てたり、リーディングによって霊の意見を知ろうとすることは、スピリチュアリズム本来の目的から外れています。スピリチュアリストは、世の人々に心霊現象や交霊会にとらわれることの間違いを教えてあげる立場に立っているのです。
高級霊からの霊界通信
――霊的成長のための手引書・道しるべ
地上の人間にとって重要なことは、霊媒現象(霊界通信)というありふれた心霊現象ではなく、霊界通信を通じて送られてくる高級霊からの通信内容(メッセージ)です。現象そのものより、それによって高級霊からもたらされる「本物の教訓(霊的真理)」が大切なのです。真理は、人類を救済する手引書であり、道しるべとなるからです。
先に述べましたが、世の大半の霊界通信は低級霊からのものであったり、ニセ霊能者による単なる作り物といった何の価値もないものばかりです。しかし、そうしたガラクタに混じって希少な本物が存在しています。そこで無数にあるガラクタ通信の中から、本物を探し出す努力が地上人に要求されることになります。スピリチュアリズムでは、その稀な本物の通信がシルバーバーチに代表される「高級霊の霊訓」であることを明らかにしてきました。つまり私達スピリチュアリストは、最高の霊界通信を、世の人々に先駆けて真っ先に手にした幸運な人間であるということなのです。
このような特別に恵まれた立場に立つことができたのは、本人の真理を求める真剣な努力によるところもあったでしょうが、実はそれ以上に、霊界からの必死の導きがあったからなのです。霊界からの導きがなかったならば、地上人がどれだけ頑張っても真理との出会いを果たすことは不可能だったでしょう。
霊訓との出会いは、霊的成長の出発点に立ったということ
――真理は実践してこそ価値を持つ
高級霊による霊界通信との出会いは、地上人として最高の恩恵にあずかったことを意味します。『シルバーバーチの霊訓』を手にしたということは、魂の救済に至る最も優れた手引書・道しるべを手にしたということなのです。そこで重要なことは――「スピリチュアリストとしての本当の歩みが、その時から始まる」ということです。ところが実際には、あまりにも多くのスピリチュアリストが、この出発点にとどまったままでいるのです。手にした知識を一生懸命に学びはしても、いっこうに実行に移そうとしないのです。
霊訓はどこまでも霊的成長のための手引書・案内書である以上、それを自ら実践していかなければなりません。“救い”は実践して後に与えられるものです。霊訓との出会いは――「霊的成長の出発点に立った」ということに他なりません。言い換えれば霊訓に出会うまでのプロセスは、すべて本当の出発をするための準備段階に過ぎなかったということなのです。せっかく手にした霊的宝(真理)を活用せずに、どぶに捨てるようなことをしてはなりません。
シルバーバーチの厳しい指摘を見ることにしましょう。
「知識は無いよりは有るに越したことはありません。が、その人の真の価値は毎日をどう生きたかに尽きます。」
「単なる知識の収集では大して価値はありません。もしもそれを他人のために使わないでいると、一種の利己主義ともなりかねません。」
「霊的知識を手にすれば、その時点からその活用の仕方に責任が付加されます。その知識の分だけ生活水準が高まらないといけません。高まらなかったら、その代償を支払わされます。(中略)知識がそこにあることを知りつつそれを活用することができないでいると、それによって逆にその人の霊性が弱められ、害をこうむることになりかねません。」
まとめ
地上におけるスピリチュアリズム発展のプロセスを整理すると、次のようになります。
以上を別の角度から図示すると、次のようになります。
3.“反面教師”としての英国スピリチュアリズム
スピリチュアリズムの本場イギリス
これまで英国は“スピリチュアリズム”の前線に立って、世界のスピリチュアリズム界をリードしてきました。キリスト教という伝統宗教からの反対・迫害を乗り越えて、スピリチュアリズムの道を開拓してきました。英国スピリチュアリズムは、シルバーバーチに代表される高級霊の霊界通信を地上世界にもたらしました。
イギリス国内には数多くのスピリチュアリスト・チャーチがあり、大勢の会員を抱えるスピリチュアリストのグループや協会もあります。またツーワールズやサイキック・ニューズのような定評ある心霊誌も発行されています。さらにスピリチュアル・ヒーリングは世界で最も進んでおり、多くのヒーラーが活発に活動しています。
英国は、まさにスピリチュアリズムの本場と言えます。日本のスピリチュアリズムも英国スピリチュアリズムの影響のもとで、今日に至りました。英国は世界のスピリチュアリズムの道を開拓して基礎を築き、スピリチュアリズムの歴史に偉大な足跡を残しました。
“反面教師”としての現在の英国スピリチュアリズム
このように英国は、世界で最もスピリチュアリズムが普及し、スピリチュアリズムの長い歴史を持った国です。しかし伝統があることや、スピリチュアリズムの発展に多大な貢献をしてきたということが、必ずしも現在の英国スピリチュアリズムが霊的に優れているということを意味しているわけではありません。
シルバーバーチのような高度の霊界通信を受けながら、それがいまだに英国スピリチュアリズム界の指導理念になっていません。多くの部分で高級霊の教えから大きく懸け離れている(*あるいは、いまだにそこに至っていない)のが現在の英国スピリチュアリズムの実状と言えます。
先程スピリチュアリズムは、現象レベル→知識レベル→実践レベルという段階を踏んで進化・発展していくことを述べました。シルバーバーチは、徹底して「実践レベル」でのスピリチュアリズムを強調しています。しかし現在の英国スピリチュアリズムは、その大半が現象レベル、知識レベルにとどまっています。スピリチュアリスト・チャーチでは、相も変わらず昔ながらの交霊会や心霊現象を中心とした集まりが続けられています。スピリチュアリストの協会も心霊現象や知識を中心としたレベルにとどまったままで、霊的真理の実践の重要性を訴えようとはしていません。
チャーチや協会は、霊的真理の実践を方針として、そこに集う人々を実践の方向にリードしていかなければなりません。しかし現実には、そうした改革のためのエネルギーは、すでに尽きてしまったかのように見受けられます。
もちろん英国のスピリチュアリストの中には、シルバーバーチの教えを忠実に実践しようとする霊性に恵まれた人もいることでしょう。しかし英国スピリチュアリズム全体としては、いまだに実践を重視する方向に踏み出せずにいます。英国の心霊誌には多くのヒーラーや霊能者、チャーチからの広告が掲載されていますが、それらを見るかぎり、日本の低俗なものと大差ありません。心霊現象に目覚めたのはいいけれど、そこから先に進んでいかないのが、現在の英国スピリチュアリズムの状況なのです。
世界各地から多くの人々がスピリチュアリズムを学ぶために英国に足を運びますが、率直に言って、現在の英国スピリチュアリズムから得るものはほとんどないのが実状です。『シルバーバーチの霊訓』を忠実に実践しようとするならば、もはや英国スピリチュアリズムから取り入れるものはないのです。現在の英国スピリチュアリズムの中に、シルバーバーチが言うような、人類のため、スピリチュアリズム普及のために人生を捧げ、自分を犠牲にして歩もうとする人が、果たして何人いるものかと疑問を感じます。こうした心配が単なる
魅力の乏しい、これまでの日本のスピリチュアリズム
これまで日本のスピリチュアリズムも、こうした英国のスピリチュアリズムと大差のないような歩みをしてきました。スピリチュアリズムの中心は、心霊現象レベル、よくて霊的知識レベルにとどまっていました。もちろん先輩スピリチュアリストの中には、少数ですが霊的真理の普及を自らのライフワークとして、真剣に歩んでこられた奇特な方々もいらっしゃいました。しかし日本のスピリチュアリズム全体としては、心霊研究あるいは霊的知識の収集といったレベルを抜け出るものではありませんでした。「霊的真理の実践」がスピリチュアリズムの中心になっているとは、とても言えない状態でした。
残念なことですが、私達スピリチュアリストよりも、他の宗教に係わっている人々の方が、純粋に奉仕の実践に取り組んできたことを認めなければなりません。実践に対する意欲や真剣さは、新新宗教の信者の足元に遠く及びませんでした。これまでの日本のスピリチュアリズムは、現在の英国スピリチュアリズム同様、霊界の人々にとってあまり魅力のないものであったと言わざるを得ません。
潜在性を秘めた日本のスピリチュアリズム
日本のスピリチュアリズムが英国スピリチュアリズムと比べて幸いであったのは、スピリチュアリズムの底辺がそれほど拡大してこなかったことです。スピリチュアリズムが日本の中で知名度も存在感もなく、マイナーの地位にとどまっていたことです。英国のように多くのスピリチュアリスト人口を抱えることもなく、活動の拠点となるチャーチの展開がほとんど見られなかったことは、今となってはむしろ幸いだったと言うべきでしょう。
なぜならどのような分野でも言えることですが、いったん形が出来上がってしまうと、次の段階に進歩しようとする際にそれが足枷となってしまうからです。その足枷が大きければ大きいほど、それを崩して新しいものをつくり上げるのに、たいへんな時間と労力が必要となります。英国スピリチュアリズムのように伝統のあることが、スピリチュアリズムの次なる進化・発展において、かえって障害となってしまうのです。キリスト教という伝統宗教が、スピリチュアリズムという新しい霊的動きに呼応できなかったように、これまでの古いスピリチュアリズムの伝統も、新しくレベルアップして発展しようとするスピリチュアリズムの足枷となってしまうことになりかねないのです。
日本のスピリチュアリズムは、ここ4~5年の間に『シルバーバーチの霊訓』を中心として急激に発展を見るようになってきました。古いしがらみのないスピリチュアリズム、シルバーバーチの霊訓に基づく「実践中心の新しいスピリチュアリズム」の展開が始まっています。もちろんいまだに心霊現象レベル、知識レベルにとどまっている人々も多くいますが、真理の実践をスピリチュアリズムの中心と考える人々がどんどん増えています。これまでの英国スピリチュアリズムには見られなかった動き――英国スピリチュアリズムとは違ったスピリチュアリズムの展開が、現に今、日本で起こりつつあるのです。
4.霊的真理の実践を中心としたスピリチュアリズム新時代の始まり
実践なきスピリチュアリズムは無意味
スピリチュアリズムは「霊的真理の実践」に至って、初めてその目的を達成することになります。言うまでもなくスピリチュアリズムの示す道を真っ先に歩むのは、真理を手にした私達スピリチュアリストに他なりません。
ところで私達はこれまで、霊的真理の実践にどのくらい意識を向けてきたでしょうか。今いちど謙虚に反省しなければなりません。真理によって自分の生活の質が高まったかどうかをチェックしなければなりません。真理を日常生活で実際に活用してきたか、どのくらい真剣に利他愛を実行してきたかを振り返ってみる必要があります。
他の宗教の中には、スピリチュアリズムのような優れた真理がないにもかかわらず、真剣に実践に励み、人生を純粋な奉仕に捧げている人がいます。そうした人々と比べ、私達スピリチュアリストのこれまでの歩みは、果たして堂々と胸を張ることができる内容だったでしょうか。
残念なことにスピリチュアリストの中には、いまだにスピリチュアリズムが信仰実践であることを理解していない人々が多く見受けられます。スピリチュアリズムを単なる現象や霊界通信を扱うことであるとか、霊的知識を学ぶことであると錯覚している人々がいます。なかには
しかしスピリチュアリズムは――「霊的真理に基づく信仰」なのです。霊的真理に信仰的内容を積み上げたものが本当のスピリチュアリズムなのです。言い換えればスピリチュアリズムとは、日常の行為そのものであり、霊的真理にそった日常の生き方に他なりません。シルバーバーチの霊訓は、私達がどのように日常生活を過ごすべきかを教えています。もし私達が日常生活で真理を実践しないとするならば、せっかく手に入れた“霊的宝”を、すべて捨て去ることになってしまいます。
「スピリチュアリズムで大切なのは、実生活において何をしているか、何をしてきたかということです」というシルバーバーチの言葉の中に、スピリチュアリズムの本質が示されています。
霊的真理の実践に目覚め始めた多くの人達
私達のサークルには、毎日のように全国各地の方々から、スピリチュアリズムと出会った感動の声が寄せられています。「ニューズレターによってスピリチュアリズムの本質が理解できるようになりました」「シルバーバーチの霊訓がこんなにも素晴らしいものであることが初めて分かりました」といった感想が届けられています。
そうした喜びや感動を口にされる方々に共通して見られる傾向は、霊的真理を人生の指針として、それを忠実に実践しようとしているということです。ニューズレターの厳しい内容を当然のこととして受けとめ、それをむしろ本物の
単なる心霊現象や霊的知識の収集のレベルを越えた人々、何よりも日常生活で霊的真理の純粋な実践を心がけようとする人々が、ここ数年の間に日本の各地で次々と現れるようになってきました。そしてその数は、年を追うごとに確実に増え続けています。こうした動きを目の当たりにして私達は、本物のスピリチュアリズム・実践レベルのスピリチュアリズムが今まさに日本に展開しつつあることを実感し、大きな喜びと感動を味わっています。
そのような霊的な動きは、スピリチュアリズムの本場である英国にも見られません。150年のスピリチュアリズムの歴史において、初めて霊界の高級霊が認めるレベルでのスピリチュアリズムが、今日本に起こりつつあることを強く感じます。霊界の人々が日本のスピリチュアリズムにかける期待が、ますます大きくなっているのを手に取るように感じます。シルバーバーチの霊訓によって啓発され、真の霊界の道具として自らを捧げようというスピリチュアリストが現れ、その高貴な志に呼応して霊界の無数の霊達が、全面的に協力する態勢が整えられるようになっています。
スピリチュアリズム新時代の開拓者として
――日本のスピリチュアリズムに対する霊界の期待
実践に目覚めたスピリチュアリストの数が増えるにともない――「スピリチュアリズムとは、霊的真理の実践を通じて霊的成長をなすと同時に、人類救済のために貢献することである」との認識が確立されるようになるでしょう。そうした本物のスピリチュアリズムを
霊界の意図する本物のスピリチュアリズムの見本――霊的真理の純粋な実践の見本を日本のスピリチュアリズムが示すことができるとするなら、それこそがシルバーバーチをはじめとする高級霊の願いに応えることになるのは言うまでもありません。今スピリチュアリズムは、間違いなく新しい飛躍の時代を迎えようとしています。そのスピリチュアリズム新時代の開拓者として、私達スピリチュアリストに大きな役割が期待されています。
世界に先駆けてスピリチュアリズムの新スタンダードを確立し、本物のスピリチュアリズムの伝統を築くことが、日本のスピリチュアリズムに求められています。高級霊によって示された霊的真理を世俗に迎合させることなく受け入れ、それを忠実に実践に移すことが、日本のスピリチュアリズムに願われているのです。