年老いてから始めたスピリチュアリズム人生、寝たきり病人としてのスピリチュアリズム人生
――「もっと早くスピリチュアリズムと出会っていたら」と残念がる必要はありません。「身体が不自由でスピリチュアリズムのために貢献できない」と絶望する必要はありません。
ニューズレター第23号
晩年にスピリチュアリズムと出会った人々からの便り
私達のサークルには、連日のように全国各地からスピリチュアリズムと出会った人々の感動の声が寄せられています。こうした嬉しいお便りを読むたびに、深い喜びと励まし、大きなエネルギーをいただいております。
その中で特に感慨深いのが、人生の終盤に至ってスピリチュアリズムを知り、余生のすべてをスピリチュアリズムのために捧げようと決意された方々からのものです。さまざまな宗教書を読み漁り、また複数の宗教教団に籍を置くなど、真剣に真理探求の人生を歩んできた方が、死の門が見えかかる頃に、やっとスピリチュアリズムと出会うチャンスに恵まれたのです。
そうした人々はスピリチュアリズム(*特にシルバーバーチなどの三大霊訓)と出会った瞬間に、これこそ自分が求めてきたものであると直感するのです。彼らは『シルバーバーチの霊訓』を単なる知識としてではなく、初めから「人生の手引き書・信仰実践の書」として位置付けすることができるのです。頭でっかちの若者にありがちな理屈っぽさや、自分勝手な解釈、軽々しい好奇心といった要素は一切ありません。信仰的厳しさを当たり前のものとして、そこに真実性を見い出すことができるのです。そして何のためらいもなく、残された人生をスピリチュアリズムのために捧げたいと決意するのです。彼らは、まさに時期のきた人なのです。
もっと早いうちにスピリチュアリズムと出会いたかった……
このような晩年になってスピリチュアリズムを知った方々は一様に、「自分はもっと若いうちにスピリチュアリズムと出会いたかった……」「もっと早いうちに、せめて10年前にスピリチュアリズムを知っていたら……」とスピリチュアリズムとの出会いの遅さを残念がります。
その気持は私達にもよく理解できます。もし私達が年老いて、70歳過ぎ、80歳過ぎになってからスピリチュアリズムを知ったとするなら、同じような思いを持つに違いありません。おそらくこの方々と同様に、「もっと早い時期にスピリチュアリズムと出会いたかった。遅きに失した」と思うことでしょう。
彼らはまた、スピリチュアリズムのために自分の余生をすべて捧げたいと決意するのですが、自分にはあとわずかな時間しか残されていないことを考え、「今から何をすればいいのでしょうか?」と真剣に答えを求めてきます。
こうしたお便りに対して、私達は以下のような返事を差し上げております。
あなたは本当は、特別に恵まれた方なのです
あなたが、「もう少し人生の早い時期にスピリチュアリズムと出会っていたら」と残念に思われる気持は、人生経験の乏しい私達にも痛いほど理解できます。しかし次のようなことを心にとめていただけるなら、そうした無念の思いも消え去ってしまうことでしょう。
今、あなたが『シルバーバーチの霊訓』という人類最高の教えを手にしているという事実、そしてスピリチュアリズムの霊的真理の内容と価値を正しく理解できるという事実、さらにスピリチュアリズムのために人生をかけて貢献したいという崇高な決心を持っていらっしゃるということ自体が、実は地上世界にあって、あなたが特別に恵まれた方であることを証明しているのです。
『シルバーバーチの霊訓』を知っている地球人は、ほんの一握り
現在、地球上には60億を超える人間が存在しています。そして日本には1億以上の人々が住んでいます。その中でスピリチュアリズムと出会っているのは、ほんの一握りの人間に過ぎません。日本人のうちで『シルバーバーチの霊訓』を手にしている人が、一体どのくらいいるとお考えでしょうか。10年前と比べると『シルバーバーチの霊訓』は急速に普及してはいますが、それでも現時点では、まだほんの一部の人々に知られているだけなのです。
『シルバーバーチの霊訓』は、霊界の高級霊が総力をあげて展開している人類救済のための大プロジェクトによってもたらされたものです。それは地上人類にとって真の救いの道であり、最高の宝です。そうした最も価値ある霊訓と短い地上人生の間に出会えたことは、まさに奇跡ともいえる出来事なのです。あなたは、神がもたらしてくれた“霊的宝”を手にするという奇跡的な現象の体験者であり当事者なのです。その点で、あなたは稀に見る幸運な方と言えます。
霊的真理の真の価値を理解できたのは“霊性”に恵まれていたため
さて、このような奇跡的な出来事に
あなたは、これまでの求道人生において多くの宗教書に目を通し、可能なかぎり霊的知識を求めてこられました。そうした知的土台もプラスして、『シルバーバーチの霊訓』が人類史上最高の教えであることを的確に判断することができたのです。あなたは『シルバーバーチの霊訓』に対して無条件に信頼を置き、ご自分の人生の道しるべにしていらっしゃいます。今のあなたには、霊訓以外の書物はすべて色
『シルバーバーチの霊訓』を手にしている人は大勢いますが、彼らのすべてがあなたのように霊訓の真の価値を理解しているわけではありません。最高の霊訓を手にしながらも、「なかなか良い本だ」といった程度の理解しかできない人が多いのが実状です。その中で、あなたが霊的真理の本当の価値を理解できたのは、“霊性”に恵まれていたからなのです。
霊界行きの準備を順調に達成
あなたは、「残りの地上人生を、すべてスピリチュアリズムのために捧げたい!」とおっしゃっておられます。そこまでの気持になれたということは、「地上でなすべき霊界行きの準備を順調に達成した」ということを意味しています。霊的視点から見るとき、あなたは地上人として最高に有意義な人生を送ってきたと言えるのです。
霊的真理を自分のためだけの知識にとどめず、それを多くの人々に伝え、真の救いの道を教えたいと願う気持があるということは、これまで地上人類の救いのために献身的な働きかけをしてきた高級霊と同じ利他心を共有しているということなのです。地上において、そうした崇高なスピリチュアリズムへの奉仕精神をつくり上げた以上、死後は真っ先にスピリチュアリズムへの奉仕を霊界での仕事として選ぶようになるはずです。
あなたはすでに霊界あげての大プロジェクト推進の仲間入りを果たし、霊界の軍団の一員となっていらっしゃるのです。あなたには、いつ死んでも素晴らしい霊界での働き場が約束されています。あなたの地上人生は、すでに最高に価値あるものになっているのです。
地上人生の価値は、いかに霊界行きの準備をしたかによって決定される
考えてみてください。わずか100年にも満たない地上人生は、一言で言えば、その後の何千年、何万年、何十万年……と永遠に続く霊界での生活の準備をするためにあるのです。地上人生の価値は、霊界行きのためにどれだけの準備をしたかによって決まるのです。
そうした観点に立ってみると、大半の地上人は最低の準備さえもできないうちに霊界入りをしていることが分かります。またスピリチュアリズムを知ったという特別に恵まれた人であっても、その多くが十分な備えができないうちに地上人生を終えてしまっているのが実状です。
なかにはスピリチュアリズムの霊的真理を手にしながらも、物欲や名誉心などの誘惑に負けて低級霊に魂を売り渡しているような人間もいます。彼らは霊界に行ってから、自分の地上人生がすべて無駄であったことを思い知らされ、深い後悔と苦しみの時を持つようになります。
あなたが
これまでの人生は、すべて今のための準備期間
あなたは、「もっと早くスピリチュアリズムと出会っていたら」と残念がっていらっしゃいますが、もし10年前に出会っていたなら、果たして今と同じような深い理解ができたでしょうか。他の多くの人々と同じように、『シルバーバーチの霊訓』に対して「良い本の一つ」といった程度の理解だけで終わっていたかも知れません。今のあなたのように、「スピリチュアリズムのために人生を捧げたい」という崇高な心境にまで至れたかどうかは疑問です。これまでの真剣な求道的歩みと、それにともなう苦しみの体験があればこそ、シルバーバーチと出会い、その真価を正しく理解できたのだと思います。
言い換えれば、「これまでのあなたの人生は、すべて今日のスピリチュアリズムとの出会いのための準備期間であった」ということなのです。決して遅きに失したというわけではなく、有意義な準備期間をへて、今やっと地上人生の最高の目標点にたどり着いたということなのです。霊界という永遠の人生に対する準備ができたあなたは、本当に幸せな方であり、特別に恵まれた方なのです。
今後の奉仕人生の一年は、これまでの10年分、20年分の価値を持つ
あなたには今後、人類救済という“最高の奉仕”に携わる有意義な人生が待っています。その奉仕人生の一年は、これまでの人生の10年分、20年分の価値を持つことになります。あなたが死を迎えるまでに5年間の奉仕人生を歩むとするなら、その5年という歳月は、今までの人生の50年分、100年分に相当するでしょう。そしてその後には、いよいよ本命の霊界でのスピリチュアリズム軍団の一員としての歩みが始まるのです。
どうか残された地上人生をスピリチュアリズムのために捧げる中で、有終の美を飾ることができますように……。日々繰り返し霊訓を読み、霊界に思いを馳せて地上的利己心をコントロールし、一人でも時期のきた方のために霊的真理を伝えてくださることをお祈りしています。
――スピリチュアリズムの同志として、私達はこのようにお答えしています。
寝たきりとなったスピリチュアリストからの手紙
「自分はスピリチュアリズムのために貢献したいのですが、年老いて体が弱り、今や寝たきりの状態にあります。本当に残念です。悲しいです。私は死ぬまで、どのような考え方で生きたらいいのでしょうか?」と、心の内をストレートに吐露された手紙が送られてくることがあります。
肉体の健康は、私達地上人にとってはとても重要な問題です。年老いて肉体が弱っていくのは自然の摂理でやむを得ないことですが、できることなら寝たきりの生活だけは避けたいと誰もが願っています。しかし私達には将来、こうした生活を余儀なくされる可能性もあるのです。
一方、若くしてスピリチュアリズムと出会うという幸運に恵まれながら、突然の事故によって寝たきりの生活を送るようになった人もいます。今は健康体で、思う事が何でもできると思っている若者も、突如こうした事態を迎えるようになるかも知れません。
私達のサークルには、スピリチュアリズムを知って貢献したいと願いながら、肉体の不自由さのためにそれができないことを残念がる人々からの声が寄せられています。スピリチュアリズムへの貢献の道を歩み出したものの、事故によって重い障害を負い、奉仕活動ができなくなった方からの悲しみの声も届いています。
そうしたお便りに対しては、私達は次のようにお答えしています。
寝たきりになってもスピリチュアリストとしての道を歩める
「健康体であったらスピリチュアリズムへの貢献ができるのに……」と無念に思われているお気持はよく分かります。しかし、あなたに正常な意識がある以上、たとえ寝たきりの状態になってもスピリチュアリストとしての道を歩むことができるのです。
肉体の自由を失い、思うように貢献できない苦しい状況の中にあっても、次のことは決して忘れないようにしてください。それは、「地上は霊界での生活のための準備の場所である」ということです。地上生活の間にどれだけ霊界行きの準備をしたかが、その人の地上人生の価値を決定するのです。
肉体の不自由は決して不幸ではない
あなたが短い地上人生において、『シルバーバーチの霊訓』という人類史上最高の教えと出会い、その本当の価値を理解できたということは、60億の地球人類の中で、特別に恵まれた立場にいるということなのです。肉体は不自由であっても、あなたの精神と霊は、すでに大きな宝を得ているのです。
さらにあなたは、「スピリチュアリズムのために具体的に貢献したい。自己犠牲の道を歩みたい!」との強い願いを持っていらっしゃいます。それは、死後に始まる霊界での生活において、一番大切な価値あるものをすでに身につけていることを意味しています。霊界のことを考えたら、限られた地上人生で一時的に肉体が使えないからといって、決して不幸ではないのです。
あなたは現状を残念に思ったり、不運だと嘆く必要など全くありません。それどころかあなたは、稀に見るたいへん恵まれた幸せな方なのです。その点を、まずしっかりと認識してくだい。そのうえで、「どのようにしたらスピリチュアリストとして少しでも貢献できるのか?」を探し求めていくのです。死を待ち望みそれを祈りつつも、可能なかぎり崇高な地上生活を送り、人生の最後の仕上げをすることが、あなたに残された役目なのです。
ベッドの中でできる“霊的活動”
精神の自由が失われていないうちは、たとえ肉体は動かなくとも、なすべきことはいくらでもあります。何よりまず心がけていただきたいのは、「自分の心(霊的意識)を高く維持する」ということです。
常に霊的真理(霊訓)を読んだり、真理のテープを聴くようにしてください。深呼吸をして、できるだけ多く神のエネルギーを取り入れるようにしてください。それだけで霊的意識を高いレベルに維持することができるのです。
テレビやビデオを上手に利用すれば、心霊を引き上げることもできます。テレビのお笑い番組などは避け、自然界の広大な風景や動物界の見事な営みを眺め、その映像を通して“神の創造の業”に思いを馳せるのです。神や霊界の存在を喚起させてくれる番組を、選んで見ることです。ニュースなどを見て、この世の出来事や事件に意識を向ける必要はありません。また心に安らぎを与えてくれる音楽に浸ることも、心霊維持にはとてもよい方法です。
辛さや孤独感がこみ上げてきたときには、霊界での素晴らしい生活を思い描き、希望で胸をふくらますようにしてください。霊界行きを心待ちにするのです。肉体の痛みがひどいときには、薬によってそれを取り除くことは何の問題もありません。
肉体の自由を奪われることによって、結果的に魂が深められ、内省的になれるのです。思うように身動きできない生活の中で、霊的に成長するチャンスが与えられるのです。ベッドの上の人生であっても、霊的成長の道を歩むことができます。霊的真理の理解が増し、忍耐力と寛容性が養われ、神への思慕の情が深まります。地上にいながら霊界人のような歩みができるのです。
「祈りの生活」による地上人生の仕上げ
寝たきり人生における一つの重要な霊的活動は“祈り”です。あなたには祈りという強力な霊的手段が残されているのです。身体の自由が完全に奪われたとしても、祈りを通じて積極的に霊的な働きかけをすることができます。健康人と同じようにスピリチュアリズムへの貢献に加わることができるのです。
肉体が衰弱すれば、気力も失われ、自己の心霊を保つのに精一杯の状態になります。そうした時には――「
それと同時に、スピリチュアリズムのために献身的に奉仕活動に携わっているスピリチュアリストのために祈ることにしましょう。「自分の代わりに今スピリチュアリズムのために貢献の道を歩んでいるスピリチュアリストの皆さんに、霊界からのいっそうの導きがありますように」「彼らに時のきた人との出会いが訪れますように」「一人でも多くの方々が、スピリチュアリズムと出会い救われますように」こうした祈りを繰り返し繰り返し続けましょう。そして、これまでの人生で出会った人々の顔を一人一人思い浮かべて、彼らが一刻も早くスピリチュアリズムに導かれる時期がくることを祈りましょう。残された気力を振り絞って祈り続けるのです。
もし、こうした「祈りの生活」を実行できるなら、スピリチュアリズムへの立派な貢献をすることになります。肉体が自由に動いたときには、わずか10分の祈りもなかなかできなかったのが、寝たきりになってからは毎日何時間でも祈りの時を持つことができるようになるのです。純粋な祈りによって心が高められ、いっそう内省的になり、霊界の人々と気持を共有することができるようになっていくのです。
霊界行きの最後の仕上げをしましょう
「祈りの生活」を継続することができるなら、たとえベッドの上であっても、立派に地上人生の最後の仕上げをすることができるようになります。10年間寝たきりの生活を送ることになったとしても、決して不幸ではありません。死後にやってくる永遠の霊界での生活を考えれば、たかが10年そこらの期間は大したことではありません。その間に、健康体ではできなかった霊界行きの準備がしっかりとできるのです。
考え方によっては、寝たきり人生は不幸どころか、ありがたいことです。肉体の不自由さが霊的成長を促し、同時に霊界行きの最も効果的な準備をさせてくれることになるのです。
あなたは心がけ一つで、健康なスピリチュアリストと同じように価値あるスピリチュアリズム人生を送ることができるのです。スピリチュアリストであればこそ、「寝たきり人生を価値あるものにできる」ということなのです。
――祈りの気持を込めて、私達はこのようにお答えしています。