スピリチュアリズムから見た『神との対話』

ニューズレター第18号

これまで何人かの方から、『神との対話』についてのご質問を受けております。『神との対話』に対する、スピリチュアリズムの見解はどのようなものかということです。今回のニューズレターでは「霊界通信の判別方法」について学びました。丁度よい機会ですので『神との対話』を取り上げて、スピリチュアリズムの観点から検討してみたいと思います。

久しぶりのヒット・チャネリング

『神との対話』は――1992年の復活祭の日に、アメリカ人チャネラーであるニール・ドナルド・ウォルシュが、神に宛てて怒りの手紙を書くところから始まっています。すると自動書記の形で、神からの返事が届き、そこからニール・ドナルド・ウォルシュと神との対話が繰り返されることになります。その一連のやり取りが、『神との対話』という本にまとめられたのです。この本の中の神は、まるでこの世の人間が語るようなタッチでユーモアやジョークを交え、気軽に話しかけています。

『神との対話』は全米で大ベストセラーとなり、世界42カ国で翻訳され、日本でもベストセラーとなりました。1980年代を通して一世を風靡ふうびした感のあるチャネリングは、1990年代に入って下火となりましたが、『神との対話』は久しぶりのヒット・チャネリングとなりました。

人為的につくられたベストセラー

では、この『神との対話』はスピリチュアリズムの観点から見たとき、どのように判断したらよいのでしょうか。『神との対話』は、本物の霊界通信(チャネリング)、霊的に高い通信と言えるのでしょうか。

結論を言えば、「霊的真理」を理解している人ならば、初めから偽物と簡単に断定できる代物しろものです。かつての幸福の科学のデタラメ霊言集ほどではないにしても、まさに「典型的な低俗チャネリング」と言うべきものです。本物の霊界通信に触れたことのある人には、到底読むに堪えられないものなのです。

なぜ、これほどまでに程度の悪いチャネリングが、世界的なベストセラーになったのでしょうか。それは従来のチャネリングの場合と同様、うまく売り出せば大きな金儲けになると目をつけたアメリカの大手出版社が、人為的にベストセラーに仕立て上げたからです。精神世界に関心を持っている人々にとっては、『神との対話』に出てくる一部の霊的真理は、素晴らしいものに映ることでしょう。それによって人々は、『神との対話』のすべてが正しいものであるかのような錯覚にとらわれてしまうことになります。こうした読者の霊的真理に対する無知と好奇心が相まって、『神との対話』はヒット作品となったのです。

『神との対話』を、スピリチュアリズムの「霊的真理」と対比させながら見ていくと、その内容の多くが嘘と偽りの連続であることにすぐに気がつきます。と同時に『神との対話』は、内容の素晴らしさではなく、単に商業主義的手法が巧妙であったためにベストセラーになったものだということがよく分かります。『神との対話』は、世間一般に流通している低俗なチャネリングやニセ霊界通信、あるいは新新宗教における教義と同様のものなのです。そうした偽物の中には、真理と一緒に、まことしやかな嘘が盛り込まれています。それによって人々はだまされ、結局、真実の道から遠ざかっていくことになるのです。

内容のあまりのひどさ

『神との対話』は、このニューズレターで示した高級霊による通信の条件から、すべて外れています。スピリチュアリズムの霊的真理と比較するまでもなく、その内容のひどさは一目瞭然です。

今ここで『神との対話』の中身を、先に述べた「高級霊訓の13の条件」と一つ一つ照合して批判するつもりはありません。あまりにも程度の悪い内容を前にすると、いちいち取り上げる気にはなれません。もし皆さん方の中に関心のある方がいらっしゃるならば、そうした作業はその方にお任せすることにします。

低級霊の関与と、潜在意識の混入

こうした内容の低俗さの原因は、通信を送ってくる霊が“低級霊”であるという一言に尽きます。またこの本には「低級霊の関与」と同時に、「霊媒の潜在意識の混入」が見られます。バシャールの場合にもそうであったように、チャネラーの潜在意識に内在している知識が多分に混じり込んでいます。

バシャールのチャネラー(ダリル・アンカ)はニューエイジについてよく勉強し、多くの知識を持っていました。そのため通信内容は一見、知的レベルの高いもののように映ります。それに比べ『神との対話』のチャネラーは、それほど知性的でもなく、知識も乏しいために、通信内容が知性を感じさせないものになっています。同じニセ通信であっても、チャネラーの知性の差が歴然としています。

神が直接、通信を送る?

霊界通信について少しでも知っている人ならば、神が直接、通信を送ってくるようなことはあり得ないと考えるのが常識です。ウォルシュに自動書記をさせ、質問の答えを送ってきたのは神ではなく、“霊”であることは今さら言うまでもありません。『神との対話』のチャネラーは、こうしたごく当たり前の霊的な判断さえもできず、通信内容をそのまま鵜呑みにし、神からの返事が得られたと思っていたのです。それほど霊的事実に対して無知であったということなのです。お粗末と言えばあまりにもお粗末です。

しかし、そうした彼にも、やがて神なるものの実態が明らかにされるようになります。それまで神と思っていた相手が、実は創造主たる神ではないことが、神を自称してきた霊自身の口から語られます。(『神との対話』普及版2・13章・201~203頁)

それを聞いてウォルシュはびっくりし、神に詰め寄ります――「私は本当の神と話していると思っていました。神の中の神です。トップ、ボスですよ」ここで初めて、通信を送ってきたのが本当の神でないことが分かったのです。これには、さすがのウォルシュも驚いて「神との対話」をやめると思いきや、依然として滑稽な対話は続くことになります。これまで騙されてきたことに懲りる素振そぶりもありません。神の名をかたる相手は、その後も以前と同じように、まるで神のごとくのポーズで語り続けます。

この一連のことから判断すれば、通信を送ってきたのは、程度の悪い低級霊であることは明らかです。ウォルシュがそれに気がついて当然なのですが、不思議なことに、その後も延々と「神との対話」が続いていきます。ここまでくると、もはや論外としか言いようがありません。

典型的な低俗チャネリング

霊的真理を知らない人が、この手の霊界通信に騙されるのは致し方がないとしても、スピリチュアリズムに導かれ「最高の霊的真理」を知った者が、その実態を初めから見抜けないとしたら残念なことです。

いずれにしても『神との対話』は、スピリチュアリズムから見たとき、全く価値のないニセ霊界通信です。それどころか無知なチャネラーが低級霊にもてあそばれ、からかわれているやり取りを本にした、くだらないものに過ぎません。まさに「典型的な低俗チャネリング」と言うべきものです。

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